「なるようになるさ」って、そう思えないから不安で焦って絶望してるんです

とぼとぼ歩く男性

焦りばかりが先行して心が落ち着かないとき。将来の不安が絶えなくて生きていくことが恐ろしく感じられるとき。

「もうダメだ」と絶望する私に、「なるようになる」と声をかけてくれる人がいました。

同じことをぐるぐる考えたって何か変わるわけじゃないし、つらくなるだけ。未来のことは誰にもわからない。大丈夫、何とかなるよ、と。

でも、私はそういう言葉を聞くたびにモヤモヤしました。

そうやって優しく励ましてくれることは本当にありがたい。言っていることもその通り。なるようになる。うん、そうだ。でも、もし私が死んでしまっても、あなたは同じことを言えますか? 「死」も込みで「なるようになる」と言っているんですか?

もちろん、そんなこと相手には言えないので、心の中でぐるぐる同じ質問をくり返すだけ。わざわざ相手を困惑させる必要はない。

でもね、あなたは大丈夫と思ってるかもしれないけど、私は全然大丈夫じゃない。そんなふうに言われたら、私のつらさは取るに足りないものみたい。つらい気持ちを持ち続けて、1年後も苦しいままだったとして、それも「なるようになる」? 「なるようになる」って「最悪の事態にはならない」とか「今よりましになる」とかいう意味合いを含んでいると思うけど、そんな保証は一切ない。こちとら常に最悪の事態を想定しているんです、というか、死ぬことしか考えられないんです。「なるようになる」と言うなら、たとえどのような状況に陥っても、なるようになったってことで仕方ないとあなたは受け入れられるんですよね?

と一人、屁理屈をこねるのでした。

それでも「なるようになる」と言えるのか

今でも、似たような言葉を聞くたびに考え込んでしまいます。

「ケセラセラ」
「ここまで何とかなったんだから何とかなるよ」

死にかけている人にそういう言葉をかける人は多分いないと思います。

おそらく、ある程度回復したとき、あるいは、さしたる問題はないと判断されるとき、そういう言葉が発される。

誰に言われたか、どういう状況で言われたかによって、受けとめ方は大きく左右されるでしょうし、「なるようになる」という言葉が救いになる場合もあります。

でも、私は「うーむ」とうなってしまう。

私がこの言葉を素直に受け入れられなかったのは、こちらが抱えている問題を相手が適当に受け流そうとしているように感じられたからでした。実際はそんなことないのですが、「そんなのわかんないよ」とさじを投げられたような気がして。さらに、そういうことを言う人が何の根拠もなく能天気でいるように見えてしまいました。

「もうダメだ」と悩みの沼から抜け出せなくなっている人を救うためには、そういう楽観的な姿勢が必要です。一緒になって深刻に悩んだら、二人まとめて沼に沈むだけ。ミイラ取りがミイラになったら意味がない。

だから、「大丈夫大丈夫」と平気なふりをして安心させる。

でも、私にとって「ケセラセラ」という類の言葉は、沼から這い出そうとする気力を失わせるものでした。解決策が見いだせないまま、ほっぽり出されるような。「なるようになる」? なら、もうこのまま死んじゃいたいなって。

だけど、それは許されない。ラクにさせてもらえるわけじゃない。死んじゃダメ。

そして、私は心の中で皮肉を言うのです。

あなたが言う「なるようになる」ってこういうことですか? 結局、苦しい気持ちはこれっぽちも軽くならないんですね。私は苦しむしかないんですね。だって、苦しいときは苦しいようになるんですものね。あなたの言説は実に正しい。それならそう言ってくださいよ、「苦しみはすぐにはなくならないよ」「最悪の事態になることは否定できないね」って。

「なるようになる」=「感情は変化する」

と言いつつも、「なるようになる」という言葉が嫌いなわけではなくて、むしろ私はこういう言葉が好きです。何か大切なことを言っているようで、何も言っていない。何の解決にもならない。でも、真理。

それに、相手の立場になって考えてみれば、ナーバスな相手に声をかけるのはものすごく難しいことだと思います。

自分の不用意な発言が相手を傷つけてしまうかもしれない。だからといって何も言わないのも違うし、つらい気持ちから少しでも抜け出せるように手を貸したい。支えてあげたい。

そういう気持ちから絞り出した言葉が「なるようになる」だったのだとしたら……。

だからこそ、モヤモヤしたんだと思います。

相手が言っていることはまったくもって正しい。焦りや不安でおかしくなっている人間に「ケセラセラ」という穏やかな姿勢は必要だ。今の自分を否定しているわけでもないし、ありのままを受け入れてくれている。その優しさは本当にありがたい。でも、反発心を持ってしまう。温度差があって、こちらの気持ちをないがしろにされているように感じてしまう。感謝すべきなのに、腹を立てるなんて。以下、不穏な感情ムクムクムク。

相手は悪くないから、気持ちをぶつけようがないんですよね。強いて言うなら、「私が悪い」。だから、一生懸命自分を責める。

何とかしなきゃ!
でも、どうしたらいいかわからない。
何もできない私はダメだ。
生きている価値がない。

このあたりのモヤモヤが、このブログの源泉になっています。

冷静に作戦を立てるために

「なるようになる」

ということは、

「苦しみはすぐにはなくならないかもしれない」
「最悪の事態になることは否定できない」

だからこそ、ほんの1ミリでも苦しみが軽くなる方法を探そう。最悪の事態を避けられるように対策を練ろう。

そんな気持ちで、このブログを書いています。が、なかなか即効性のある方法は見つからなくて、どうしたらいいか困り果ててしまいます。

最悪の事態を避けるために一番役に立つのは「金」ですね。これは痛切に感じていることです。

お金があれば幸せになれるとは限らないけれど、お金で解決できる問題はたくさんあります。お金があれば何とかなる。不安も解消される。こういう心の余裕があるかないかでかなり精神的な苦痛は違います。

それで、「仕事をしなければ!」と焦ってしまうわけですが、まずは、社会制度を利用したり、家族などにサポートをお願いしたりしながら、体調を整えていきたいですね。

誰も頼る人がいないというような場合も、保健所精神保健福祉センター無料の相談窓口もあるので、そういったところを利用して、誰か一人でも味方を見つけてほしいなと思います。

厚生労働省のサイトでも、さまざまな情報が得られます。

みんなのメンタルヘルス
こころの健康や病気、支援やサービスに関するウェブサイト

厚生労働省 みんなのメンタルヘルス

こころの耳
働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト~心の健康確保と自殺や過労死などの予防~

働く人のメンタルヘルスポータルサイト「こころの耳」

なるようになると思えない時はいつでも遊びにきて下さい

もし「なるようになる」と適当にあしらおうとする人がいたら、「じゃあ金寄こせ」って言えばいいかもしれないですね。あるいは「仕事寄こせ」。

冗談抜きに、自分をいじめがちな人はこういうスタンスが少しは必要なのかもしれません。だからといって、私に「金寄こせ」って言ってもダメですよ。できることなら札束ドーンと差し出したいところですが、財布の中身は二千円、残~念~無念です。せびるなら大富豪に。

そのかわり、少しでも心穏やかになれるような空間をご用意してお待ちしておりますので、いつでも遊びに来てください。ゴー☆ジャスなおもてなしはできませんけれども、あなたの幸せを思う気持ちは誰にも負けません!

と、言うだけなら誰でもできるんだよ! と言われると黙るしかなくなるので、これからも粛々とブログを更新して参る所存でございます。

ご清聴ありがとうございました。

またのお越しを心よりお待ちしております。

6 COMMENTS

そら

ナミさん、こんにちは。
初めまして、そらです。
imaikuさんのコメント欄でちょことだけコンタクトのような感じになりましたが、今日は初めてナミさんのブログでのコメントです。いつも読ませていただいてます。ナミさんのモヤモヤがなんかわかる気がして今日は思わずコメントしたくなりました。
私は現在休職中です。数ヶ月前は罪悪感や焦りとか不安とかでいっぱいだった私も回復期にいるのか大分落ち着いてきました。
焦らない焦らないと自分に言い聞かせ大分焦りも薄れてきました。
それでもまだ『大丈夫、なんとかなる』と言われることに『そうだ、大丈夫』と思う自分と『なにが大丈夫なの?』と思う自分が同居しています。
もう少し元気になれたら『そうだ、大丈夫』と思う自分が主人ぐらいの立場になれたらと思うのですけどね。(笑

心が穏やかになるナミさんの空間にまた寄らせてください。
いつもありがとうございます。

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はな

ナミさん、こんにちは。
このところ、ちょこちょこ寄らせて頂いてる40代はなです。

今回の記事もまた「私のことだ…」と思い、
またしてもコメントさせていただきました。

励ましや慰めの言葉として、そういう言葉をかけてくれるのは
百も承知なのに、そう思えない自分が辛い…
同じように感じている人がいると思うと救われます。

いつも思いを代弁してくださってるように感じてます。
これからも、寄らせてくださいね。

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尾上凛々

以前もメール致しました尾上凛々です。その後も変わらず休職状態です。こんかいのブログも「なるほどな」と共感しました。休職してから見えないトンネルを進んでいるというか、これからどうなるんだと思いながら、でも目先のことはなんとかやりながら生活しています。モヤモヤ感は昨年休む時から続いてますが、なんとかなると思うようにしながらも、続いてます。このモヤモヤを消せないんだと自分を認めるようにしています。現在も認知行動療法のカウンセリングを受けてますが、一進一退みたいです。私自身専門職で、公務員という立場なので、真面目、誠実、几帳面・・メランコリー型の典型なので、仕事は完璧主義的な面があり「できないくてもいいんだ」と考えられず「自分は何でできないんだ」の繰り返しでした。なので、何とかなるとは言えない自分でした。もう1年になりますが、心の奥底から安心感を持って何とかなるという思いは、もうちょっと時間がかかると思います。いつもナミさんの記事を読んでなるほどなといつも感謝しています。

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ともえ

今日たまたま拝見しました。
読んでいて、とても楽になりました。ありがとうございました。

私はあることが原因で会社をやめ(休職はなし)来年から転職先で働きます。とても不安ですが、またぐるぐる思考になったらこちらに遊びにこさせてください。

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尾上凛々

こんばんは。久々の投稿です。1年6か月の長いトンネルから脱却しました。これもナミさんのお陰です。まだ、心療内科とカウンセリングに通ってますが、不安な考えは、全て想定事実。自分の見方や考え方を変えること、何事も大丈夫と思うことなど、気づくことができました。ありがとうナミさん。

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マキ

偶然ネットでこの記事を見つけました。私の気持ちと同じです。私は“大丈夫“という言葉が嫌いです。何が大丈夫なの?って馬鹿にされてるように感じるし、突き放された気分になります。でも世の中“大丈夫“は魔法の言葉みたいに言われているので、そういう世の中の雰囲気も孤独を感じます。
突然コメントしてすみません。

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