「自分を信じて、グッドラック!」的な励ましってありますよね、別れ際の挨拶として使われることもあります。こういう応援の言葉っていいですよね、相手の気持ちが嬉しく、心が温まります。
が、この「自分を信じる」という言葉、見聞きするたびにどういうことなのか考えてしまいます。もちろん「自分の可能性を信じて」「あなたなら大丈夫」という意味だってことはわかるんですけど、考えずにはいられない。
「自分って何? 信じるってどうやって? 自分自身を信じろって存在を信じろってこと? それは何?」
と、前にも同じことを書いているんですけれど(自分自身を信じれば、生きる道が見えてくる?一人歩きしたゲーテの「名言」)。
きっと私は「自分」という概念に思いを馳せるのが好きなのでしょう。
とはいえ、「自分を信じて」という言葉がなんだかしっくりこないのは変わらず、うまくハマらない原因は何なのかな?という疑問がずっと頭の片隅に控えておりました。
で、あるときふと気づいたのです。
ああ、「自分を信じる」って「自分を見限らない」ってことか。
言い方の違いでしかないんですけど、これならよくわかります。見込みがないと考えて諦めることをしない。それさらに行動する方向に進めれば「自分の可能性を信じる」「自分ならできると信じる」になります。
違いは何でしょう。言葉に身に覚えがあるかどうかでしょうか。
「私はできる」と思えなくなっているから、「自分を信じる」という言葉を実感しにくい。うまくできず諦めたことばかりだから、「自分を見限る」という言葉が身に沁みてよくわかる。そういう部分は大きいかもしれません。
昔書きつけたメモに「『信じる』は『賭ける』と似ている?」というものがありました。過去の自分面白いこと言うなぁと他人事のように思ったのですが、言われてみると、確かに似ているかもしれない。自分を信じるってことは、自分の可能性に賭ける、自分ができるほうにベットするってことですもんね。
そう考えると、「見限る」というのは、無謀は勝負はしないという意味かもしれなくて、そう考えれば、それほどネガティブな印象にもなりません。むしろ堅実。慎重派。痛い目を見たからこそ、確実な道を選んでいるのでしょう。
そんなようなことをぼんやり考えたところで、自分がしっくりくる言葉を使うのって大事なんだなぁとしみじみ感じ入りました。
実感を伴った言葉こそが生きた言葉、ってところでしょうかね。