ズラす、はみだす、スキマをつくる『うしろめたさの人類学』感想

最近ギクッとしたことはありますか?

私はこの一文を読んだとき、ギクリギクリとなりました。

うしろめたさをずっと感じていると、とても正気ではいられない。なんとか正当化して、格差なんてなかったことにしようとする。 映画でも観て、逃避したくなる。 なにもできることなんてない、と自分に言い聞かせる。

「これ私じゃん」、思わずそう言いましたよね。私の特技は現実逃避です。映画を観るのが大好きです。わァ……ァ……

この前感想を書いた『バクちゃん』を読んでいるときにも、うしろめたさは生じていて、その感覚をどう扱えばいいのかわからず、静かに目を伏せるのでした。

そんなこんなで、折りに触れ思い出す本が『うしろめたさの人類学』です。上記の言葉もこの本からの引用です(p.184)。

「自分が悪い」と個人を責めるのではなく、社会構造に注目して、うまくやっていくための方法を模索しよう。そういう視点を得られる人類学や社会学のお話は、ためになります。しんどいと思っているときに読むと力をもらえることもあります。

というわけで、感想を書きます。

  

読み終わったとき印象に残っていた言葉は、「ズラす」「はみだす」「スキマをつくる」。それらの力が大事になってくるんじゃないかというお話。

社会の不均衡を覆い隠しているのは「つながり」の欠如だと著者は言います。負い目の蓄積が格差をもたらす。だからこそ、それぞれの持場で、環境をズラす、スキマをつくることが役に立つ。市場の論理から何かしらをズラすこと、スキマづくりのためのささやかな抵抗をしていこうと。

うん。確かにこれで打開できること、あるのかもしれない。希望を持てる話です。ちょっとは正面から向き合えるかもしれない。自分にできることもあるのかもしれない。

「行為せずにはいられない」、この感覚も大事だなとは常々考えるところです。私のように頭の中でぐるぐるぐるぐる思いを巡らせている人間は、頭でっかちになって、実際に行動するという要素が不足しています。その場に立って、人と出合ったときに、自分がどんな反応をするか。この、反応するまでの瞬間に、あれこれ考える余地はないですよね。とっさに言ってしまう。動いてしまう。だからこそあとから「あのときああ言えばよかった~」とかって反省するわけだろうし。でも、このライブ感って大事なんだろうなと思います。映画を観てるだけじゃ得られない感触です。

章ごとに挟まれる著者のエチオピア滞在記も興味深く読みました。共感できる言葉がいくつもあります。ここでも「はみだし」の力を実感します。

 

優位性やら特権やらを持っている者はそれに気づかないという話を見聞きすると、「そうだそうだ!」と賛同したくなります。でも、内容によっては自分が恵まれている側だと気づいて、ギクッとします。後ろめたくて小さくなる。当たり前のことは当たり前すぎて気づけない。そう、そうなんだ……。

マジョリティというだけでそれが特権になり得ることも最近やっとわかった気がします。けど、まだまだ自覚できていないことが山ほどあるんだろうなとも思います。

自分の人生がそれなりにうまくいっていて、自省することがなかったら、私は今以上に鈍感に生きていたのかもしれません。そう思うと恐ろしい。まだ気づけただけよかったと思うことにしよう……。

そして、自分なりにズラしていこう。「正しい」とされる論理に丸め込まれないようパンチパンチ!
 

「すべての物にひびがある。そして、そこから光が入る」
There is a crack in everything and that’s how the light gets in.

レナード・コーエンの詩「Anthem」の一節。オードリー・タンさんがよく引用している言葉です。優しい気持ちになれます。ふとしたときによく思い出します。ついでに今「頭ガイコツの裂け目から 飛び出してみよう」というスピッツの歌詞を思い出しました。ニュアンスが違うのになぜだろう。はみ出したい気持ちが高まっていたからかな。

世界は完璧じゃないので、ひずんだ場所を探し探し、映画を観たり、ギクッとしたりしながら、なんとかやっていくことにいたしましょう。

 

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