イーロン・マスクさんがTwitterの最高経営責任者(CEO)になってから、Twitterがなんかよくわからんことになっているみたいで、どうしたもんかなぁと思っていたら、今度はマスク、CEOやめるってよって話になっていて、なんだかもう目まぐるしいったらありゃしない。ついていけないっす。
一応このブログでも更新情報をTwitterでお知らせしているし、外部ツールを使えなくなったら困るなぁとは思いつつも、どこか他人事のように見ておりました。連携して使っているツールは数えるほどしかないし影響はそこまで大きくないかな~と。
とは言いつつ、関係ありそうなところは見直すことにしました。なくなったら悲しい個人的なメモなど。データを一括エクスポートできるものはバックアップを取って、できない場合は手動でデータを避難。ちょこちょこと気が向いたときに整理しています。最近挙動がイマイチだなぁと思っていたところでもあったのでちょうどいいねと言い聞かせながら。
で、メモしたものを見返していると面白いんですよねこれが。
いいなと思った言葉や気に入ったフレーズをメモしていたのですけれど、ある程度の時間が経ったおかげで、印象が変わって新鮮。
誰がいつどんな文脈で言ったのか、すべて覚えているものがけっこうあります。
そうかと思えば、全然何のことかわからない、完全に忘れてしまっている言葉もあります。
あるいは、言葉だけははっきりと覚えているのに、他は一切忘れてしまったものもありました。
発言者や文脈から切り離された言葉たち。
なんだか不思議な心持ちでした。
大抵のメモは、改めて読み返しても共感できることが多いです。
その言葉自体に共感して、さらにそれをクリップした自分にも共感するというダブルの「いいね」。たのし~。
でも、中には、「今だったらこれメモするほどじゃないな」と思うものもあります。
そのとき感じますね、自身の変化を。これが成長だといいんですけれど。
そんなこんなで、琴線にふれた言葉をクリップするのっていいなと改めて思いました。
自分の写真はほとんど撮らないけれど、この言葉のメモは私にとってのポートレート、心象風景を切り取った思い出の写真。
すべてをクリップすることはできないけど、これからもいろいろ収集していきたい。
と、ちょっと前向きな気持ちになれたのでした。
めでたしめでたし。