特に意識したわけではないのですが、最近、自分よりかなり上の世代の人たちのエッセイをよく読んでいます。明治~大正~昭和初期、今から100年くらい前に生まれた人たち。特に日本人男性が多めです。
人生の先輩から学ぶことは多く、どれも興味深く読んでいるのですが、古い価値観に違和感を持つことがちょいちょいあります。時代によって価値観が変わるのは当然、「当時はこういう考え方だったんだよね」と思いながら読んでいても、どうしても気になってしまう。特に男尊女卑。悪気なく当たり前のこととして語られる感じが続くとけっこうキツい。ナチュラルに出てくるというか、にじみ出ているというか、インストールされちゃってると言ったらいいでしょうか。
そして、もう一つ気になるのは「最近の若者は~」という定番の嘆き。理解を示しているように見えても、自分の方が優れているという考えが透けて見えるとちょっと嫌。その点、岡本太郎はそのあたり自覚的で、「若いものに理解をもっているつもりでも、気がつかないうちに、いつの間にか古くなって時代からずれている」と書いています(参考:『人間は瞬間瞬間に、いのちを捨てるために生きている。』感想)。だから「人による」と言うのが適切だとは思うんですけれど。
というわけで、例を挙げて話をすすめると、池波正太郎の『映画を見ると得をする もっと映画が面白くなる』に、考えるきっかけとなる話がありました。時代劇の演出について書かれたパートです。
この本のざっくりとした感想は前回書きまして、そのときには触れなかったのですが、時代劇については池波さん、全体的に評価が辛いんですよね。時代考証がテキトーすぎるだろという指摘です。
例えば、ちょんまげ。同じちょんまげでも、時代によってスタイルが違うのだそう。それがあまりにも雑すぎるらしい。今の感覚に置き換えるなら「2020年代の若者がみんな聖子ちゃんカット」みたいな違和感でしょうか? もっとひどいのかな?
着物の柄も着こなしも全然ダメ、そんな刀の差し方はないだろうと。まあそういう指摘は当然あるんだろうなと思います。現代劇を見ていたってツッコミどころ満載のドラマはいくらでもありますしね。だから、そういうところをきっちりきっちりやってる作品はいいよね~というのはすごくわかります。
ですが、「最近の人はこれも知らない、あれも知らない」「考えればわかるだろう」「こんな簡単なことがわからないとは」と憂えている。そういうのが続くとちょっとうんざりします。
まあ、あれこれ言いたくなる気持ちはわかるんですけどね、でもそれって外国人が日本風演出をして可笑しな感じになっちゃうのと似たようなものですよね。現代の常識で考えたら、大昔の常識なんて意味不明なことも多いだろうし。
まあだからこそ「ちゃんと調べろよ」「勉強しろよ」ってことなんでしょうけど。時間や予算が限られていると言ったって、もうちょっと何とかなるだろうということなのかな。それは確かにそうかもしれません。もうちょっと想像力を働かせろよという言い分もよくわかります。
いやはやプロの世界は厳しいなぁと他人事のように思いつつ、私もそのうち「最近の人は~」と嘆くようになるんだろうか、嫌だなぁと思いました。
もし「最近の若者は~(否定的評価)」とグチグチ言ってくる人生の大先輩がいたら、その人がデジタル機器を持て余してとんちんかんなことをしてしまう様子を思い浮かべると溜飲が下がるかもしれません。バリバリ使いこなせる場合はどうしよう……「最近の若者は~とか言っちゃうの可愛い」と思うのもいいかも?
普段ガジェットを使わないお年寄りが、デジタルネイティブ世代のライフスタイルを想像できないのは当たり前。それは全然悪いことではない。私もそのうち、出来ない・わからない・知らない人たちの仲間入りをすることでしょう。
誰に対しても、何に対しても、敬意を持って向き合いたいものです。