いろいろな人がいる。
それがヒトの生存戦略。
自分には理解できないと思うような人、例えば極端な話、殺人鬼は恐ろしいけれど、時代が違えば英雄として称えられるかもしれない。あるいは、引きこもりは一般的にネガティブに捉えられるけれど、コロナ禍においては最適なふるまいと言える。みたいな捉え方、ありますよね。
統合失調症も、当事者の苦しみを思えば、どうしてこのような病気が存在するのかと思うのだけれど、大局的に見れば、症状によって引き起こされた行動(あるいは抑制された行動)が、特殊な状況に適してヒトという種を存続させる、他のタイプには乗り越えられない困難をも切り抜けることができる、そんな非常時のための能力なのかもしれない、みたいな話を本か何かで読んだ記憶があります(似たような話は『うつ病の真実』にも。こちらはユウウツと不安について)。
なぜこんなことを思ったかというと、ちょっとした不愉快案件があったからです。面と向かって「あなたは劣っている」を内包した言葉を投げてくる人いませんか。あるいはノンバーバルなマウンティング、日本語にすると非言語馬乗り? 非言語見下し? 文字起こしすれば嫌なことは言ってなさそうなのだけれど、「私の方がすごいのよ」という態度や“匂わせ”がある人。無自覚な場合も含め。
こういうの、自分に言われるのも嫌ですけど、誰かが誰かにマウンティングされているのを見て不快になる場合もあるんですよね。ムカつくというよりはモヤモヤするぐらいの感じが多いかな。そういうときは大抵マウンティングされる側の人に共感しています。それってつまり、自分が侮られたように感じてモヤついちゃったってことです(自分の認知に問題がある場合も多いです)。
で、そういうときこそ、多様性の大切さを思い出さなきゃなと思ったのです。
自分と全然違うタイプの人、必要!
バリエーション豊富に!
それがヒトの生存戦略!
学術的な話や厳密なことはわからないですけれど、ここでは気持ちを落ち着けることが大事なので、これで十分。「みんなちがってみんないい」と少しでも寛容になれたら花丸です。
「新種発見!たまごっち」とか、自分を含むヒトをポケモンに見立てて「ポケモンゲットだぜ!」と言ってみるとか、そういうポップな感じで捉えてみたり。
ちょっと距離を置いて面白がれるといいんですけどね……、感情的になるとよろしくない結果を招きがちなので。なかなか難しいんですが……。
ネガティブ方面の面白さとしては、「みんなちがってみんなダメ」っていうのも好きです。必ず顔がほころんじゃう。
そんな感じで、どんなときも、ちょっとしたユーモアを忘れないでいたいものです。
“匂わせ”ではなく、“和ませ”の能力者を目指します。
ナミさん
ありがとうございます!
みんな違ってみんなダメ…
これ、良いですね。
あはは!って思わず笑ってしまいますね。
心が軽くなりました。
今夜はよく眠れるといいな…
ナミさん、どうぞ引き続きお気をつけて〜♪