思わず肘窩に爪を立てる/雨宮まみ『女子をこじらせて』感想

すごい本を読んだので感想を書きます。

雨宮まみさんの自伝的エッセイ『女子をこじらせて』です。

ほんとにすごい。とにかくすごい。何がすごいって、こんなに赤裸々に自分のことを書けるのがすごい。

書くためには対象のことをよく見て言葉にしなくちゃいけないわけですが、その観察力と分析力のすごさったらない。客観性や冷静な視点も必要です。自分の弱いところや痛いところ、恥ずかしいところも逃さず捕らえる。自分のことについてこんな向き合い方をできるのはただ事ではないと思うんですが?!!

私には絶対できません。できないからこそ本当にすごいと尊敬してしまいます。ただただ圧倒される。とにかくすごい。

 
あまりにリアルで生々しくて、10年以上かけてやっとふさがった古傷が開きそうになりました。いやはやこれはタイミングによっては傷口に塩を塗り込む行為ですよ、キケンキケン。

そんなこんなで読み進めるたび、かつての記憶が思い起こされ、古傷をえぐられるようで、思わず身体の各所をつねるつねるつねる。肘窩(ひじの裏側、曲げる部分、「ちゅうか」と言うらしい)のあたりに爪を立てながら読むはめになりました。あ゛ーーー

 

これまでに雨宮さんの文章はWebで公開されたものをいくつか読みました。

読むたびに、この方の書く文章いいなと思いました。

「こじらせ女子」の人(元祖)という認識で、そのあたりの話はまだ読めてないけど、きっと共感できるところが見つかるだろうという確信を持っていました。

それで、ずいぶん前から「読む本リスト」に追加していました。読みたいし読むべきだと思って。

でも、なかなか近づけなかった。

なんかヤバい気がしたから。

この人の文章を読んだら致命傷を負うんじゃないかって。

でもやっぱり気になるから恐る恐る近づいて、やっぱり離れる。そんなことをくり返していました。

そうこうしているうちに、雨宮さんが亡くなってしまいました。

彼女のことはよく知らないのにショックを受けました。

「おそらくこの人は自分にとって重要人物になる」と予感していたからだと思います。

 

2016年に雨宮さんが亡くなってから、もう5年も経つのかぁ、と思わず遠くを見つめてしまいます。

『女子をこじらせて』の出版が2011年、その10年後の2021年。

ある日たまたま、ふと目が合ったという感じでこの本を手に取ったわけですが、なんとも不思議な気持ちです。

雨宮さんがこの本を書いたのと同じ年頃で読むことになったのも何かの縁なのか、自然の成り行きなのか、30代半ば過ぎると、ちょっとは冷静に思春期や青年期のことをふり返られるようになるのか、加齢にはこういうメリットがあるのだろうかねぇと再びしみじみ。

 

で、やっぱり読んでみて、かつての予感は正しかったなと思ったのでした。

もう少し若いときにこの本を読んでいたら大きなダメージを負ったことでしょう。

つらかったことを思い出して、メンタルが不安定になっただろうと予想されます。

それぐらい心の奥底にある何かをえぐってくる。

ただ事実を述べられているだけなのにダメージを受けるってことは、自身の認知に難があるのだろうから、今より断然ゆがみまくっていた若き自分が読んでいたら危なかったぜ、フゥ~、セーーーフ、と額の汗を拭い払うジェスチャーをするなど。
 

「暗黒のスクールライフ」を読む

そんなこんなで、読み始めからもう共感の嵐。特に序盤パートの「暗黒のスクールライフ」。

わかりみがすごい。最初からもう、すぐ面白いし、わからないところがない。2011年出版の本だし世代もちょい違うから、そのあたりを考慮して読まないとねって思ったけど、全然そういうの考えなくても共感してしまう。

中学高校時代のしんどさとかもう……ほんとにもうしんどいよな~。「イロモノで平気なふりをする」は泣けるし、「ああー! 過去の自分マジで死んでくれ!」は笑うし。

さあ、せっかくなので、うあーーーとなったところを振り返ってみましょう。

 スクールカーストというのは極めてソフトに人間の尊厳をブチ壊していくものですね。その場にいる全員が「お前には価値がない」という態度で見下してくるのですから、そういうもんだとしか思えなくなってくるのです。(「暗黒のスクールライフ 中学校編」より)

 自分が「普通の、キレイな、恋愛とかしてる大人の女」になれない、というのは、何らかの瞬間にはっきりわかったというものではありませんでした。かわいい友達の買い物につきあっても店員さんが自分には声をかけないとか、そういうささいな出来事の積み重ねで挫折感が強くなっていく感じ。(同上)

そうなんだよそうなんだようあーーー

「学校にいけばすぐに髪型をチェックされ、靴下や鞄を見られ、同級生の女子に「フーン」って顔をされる。学力の面でも容姿の面でも、自分はバカにされている、見下されていると感じる瞬間が多々ありました。(「暗黒のスクールライフ 高校編」より)

うあーうあー泣ける……うあーーーダメだーーーっていや本文から切り取っちゃうと破壊力が小さくなっちゃいますけどね、本文をバーっと読んでるとね、うあーってね、なるんですね、うあーって。

「自分はかわいくない」「女として価値がない」。その確信が、私を「個性的」な行動やファッションに駆り立てていきました。(「暗黒のスクールライフ 高校編」より)

「自分になんらかの才能があってほしい」という気持ちと「自分にはなんの才能もない」という気持ちの間を私は常に行き来していて、それがまた私を変わった服装に駆り立てていました。誰かに自分のセンスを褒めてほしかった。認めてほしかった。本当はただ、それだけのことだったのだと思います。(同上)

まさにこれ私。あーーー。お前は俺か?!

そうだそうだそうだった。私は中性的で風変わりなファッションに救われるような気持ちだったんだと思い出しました。女であることがしんどいと感じているが、男になりたいと切望しているわけでもない。ただ解放されたかった。そんな私はコム・デ・​ギャルソンやヨウジヤマモトの服に夢中になりました。ギャルソンやヨウジの服、あるいはそれに準ずるファッションは自分を解放してくれた。それらは自由な気持ちでいさせてくれる素敵な飾りであり最強の武器でした。高すぎてそうそう買えなかったけど……。

うあーーー

はぁぁぁ……

みたいな感じですね。

雨宮さんの文章について

本書の最後に雨宮さんと久保ミツロウさん(漫画家で『モテキ』作者さん)の特別対談が収録されているのですが、久保ミツロウさんがこの本の価値をズバリ言い当てていました。

久保 ●(中略)で、雨宮さんのやつも文章長いじゃん。誤解されないように細かく、何度も何度も書いてるじゃん。

雨宮 ● 私文章長いよね(笑)。8割が言い訳みたいな感じ。

久保 ● 私はそれが本当に大好きで、あれは短く言い切るべきじゃない悩みだと思うんだよ。短く言い切れば多くの人が悩んでる悩みと同じことみたいに言えるのかもしれないけど、そうじゃなくて「私はこうなんです」って言うことで、読む側は雨宮さんのこじらせ方と照らし合わせて「ああ、私はここが違ってる、自分はこうなんだな」って自分の形が見えてくると思うんだよね。

まさに私も読んでいる間その作業をやっていたなと納得。

全然違う人生なのに「わかる!」と思えるのは、出来事が具体的に書かれているからなんですね。詳細に書かれているからリアルに想像できて、自分の経験と比較できる。細かなところまで、傷をえぐるほどの生々しさで。なるほどな~、すごいな~。

まとめ

というわけで、『女子をこじらせて』を読んで思ったことをばーっと書いたんですけど、なんかもうお腹いっぱいって感じで、完全にぐったりへばっている私が自分の中にいます。

面白くて一気読みしちゃうけど、同時に胃もたれするような。うまいからって食べ過ぎたらキケンだよみたいな。何なんでしょう、この気持ち。なぜか呆然としてしまう。

ただ一つわかったことがあって、それは「私はまだまだだな」ってこと。何がどうまだまだなのかよくわからないけれど、うーん……やっぱり途方に暮れてしまう。

私は一体どうしたらいいのでしょうね。

答えはわかりませんけれど、それを問い続けることをやめずに、精進したいと思います。

 

 

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