好調が「異常」で、不調が「正常」

この前、最近調子の良い日がちょこちょこあってフフフンてなことを書いたのですが、去年の今頃も調子が落ち着いてフフフンとなっているときがあったなぁと思い出しました。

フフフンというより、よーしがんばるぞーという感じでしょうか。ハードルを上げ、ギアチェンジして挑んだ結果、体調を崩したんだったな、頑張れたの一瞬だったな、とほほ……と思い出すなど。

こういうデータを得られるのが歳を重ねるメリットですね。「相応」がわかってくる。「無理のない範囲」が掴めるようになってきたということです。よしよし。

しかし最近は過去の記憶、出来事の時系列が曖昧になってきています。1年前のことか2年前のことか3年前のことか……。記録を確認しないとわからない。今さっき書いた「去年の今頃もこうだったよな」という話も、実は直後に「あれ?去年じゃなかったっけ?おととしだっけ?あれ?」と思って確認しました。記憶の混濁具合、けっこうやばい。昨年も同じことを書いているし(参考:今日も私は混濁中、忘却の彼方へ飛んでった)。

今後さらにこのぼやぼや具合は加速していくのでしょう。って、ぼやぼやが加速するってどんな感じ? 膨張するってこと? まあとにかく、私は今後どんどんぼやぼやしていくでしょうという話。やれやれ。

 

で、えらく脱線してしまいましたが、ふとタイトルに書いたことを思ったわけです。

不調が普通で当たり前。むしろ調子の良いときが普通じゃないんだと。

冬を越すと体調を持ち直すのはいつものパターンで、それを把握しておくことは大事。なんですが、それはそれとして、もうちょっと感覚の捉え方を調整するなり、言葉の定義を考え直した方がいいかもしれないなと思ったのです。

連日書いてる気がしますが、やっぱり私は調子が良いときの状態(軽躁あるいはそれに近い状態)を理想としていて、それこそが「普通」だと考えているっぽいのです。

でも、それは「普通」じゃない。「正常」でも「標準」でもない。「当たり前」でもない。

「異常」なのだ。

そう言い切ってみたときに、「そうか……!」と納得感を得られた気がしたんですよね。まあ半分言葉遊びみたいなものなんですけど。

それでも、「心身の調子がすぐれないのが平常運転ですよ、ハハ」みたいなことはよく思うので、「好調が異常」ってのも極端な話ではありません。ちょっと大げさなだけで。

集中力も判断力も鈍り、一日中体がだるく、頭がぼやぼや、不眠で酔っ払ったような状態、聴覚過敏で、ちょっとした音が頭の中でガンガン響いてしんどい、頭痛に胃痛に肩こり腰痛、何をやってもうまくいかない、無気力死にたみ大爆発、これが「正常」。

「調子の良い日がちょこちょこあってフフフン」? 「よーしがんばるぞー」? それはアナタ、異常ですよと。そう言ってみることで、有り難みも増すような気がします。イレギュラーな事態だと認識しやすくなり、「これは当たり前ではない」との戒めも効果的に働くような。

好調が「異常」で、不調が「正常」。

今の私に必要かもしれない捉え方。

あまり一喜一憂しないことも大事でしょうか。

冷静に物事を捉えられるようになりたいものです。

 

2 COMMENTS

エマ

ナミさああん涙
イライラして眠れません。
だいたい激しい怒りのあとは大きな落ち込みがまっているのがわたしのパターンです。
あああああ
眠れますように。
ナミさんもおやすみなさい。

わたしたちちゃんと生きてますよね。誰にも文句は言わせない!

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