紐のしおりボッサーってなるのが嫌

前回、折り紙でブックマークを作って気分転換しているという話を書きました。実用的で、シンプルな見た目もいい感じ。これは重宝しそうだなと今も喜んで生産しております。

で、そもそもなぜ私はこんなに必死こいてブックマークを作っているのかと考えたのですが、その理由の一つはタイトルに示した通り、紐のしおりがボサボサになるのが嫌だからです。

文庫本や手帳の、あのしおり紐の端っこがボッサーわしゃ~ってなるのがすごい嫌なんですよね。図書館の人気本のボサり具合とかすごいじゃないですか。ちぎれて短くなっていたり。それを見ると、萎え萎えで泣きたくなるほどです。

自分の持ち物でそこまでの状態に至ることはないのですが、本当にもう傷むのが嫌すぎて、しおり紐の端が飛び出さないよう本に挟んで使わないという無意味をやっています。

私はなぜこんなことをしているのか。そう毎度突っ込まざるを得ないですよね。

そんな私ですが、以前は、自分の持ち物がどれだけボロボロでも全然気にならない時期がありました。むしろ、いかに使い込むか、使い込んでボロボロになっているほど素晴らしい! という感覚です。多分、躁寄りの時期だったんだろうと思います。

大事なのは容器ではなく中身! これらは大事にしまい込まれるために存在しているのではない! もっと使い込みたい! 雑に気軽に扱いたい! 中身を感じたい! 見た目に囚われるな!

そんなノリなので、しおり紐のボサボサ具合なんて当然気にならないし、身の回りの物の扱いも雑でした。特にCDの取り扱い方は、今なら考えられないような適当さ。まぁ、今はもうデータが主流になっているので、比べることもできないのですが。

波があるんでしょうかね。最近は、キレイに使いたい、ちょっとでも傷ついたら泣いちゃう期です。わりと極まっている気がします。

でもやっぱり、基本的には容器より中身を目的としているんだから、ボロボロバッチ来い期がいいなぁという気持ちがあります。だって、しおりの紐がボッサーってなるのを見てしょんぼりしたり、プラスチックケースに小さな傷がついて絶望の声を上げたり、大事な本が折れ曲がって泣きそうになったりするのって、疲れるんですもの。疲れるのは嫌だ。です。

ローよりハイがいい、元気で無敵な自分(軽躁)になりたいという思いは否定できないですね。

これも今がうつっぽい証拠なのでしょうか。

折り紙ブックマーク作りで気を紛らわせます。

 

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