どうでもいい思い出話をします。
前回の投稿を書きながら思い出していたことで、国語の授業中、小林秀雄の写真に落書きをした話です。
縦のシワは因業、横のシワは柔和
中学か高校かいつだったかは忘れましたが、国語の教科書に小林秀雄の評論が載っていて、下の方に小林秀雄の写真がありました。私はその写真に落書きをしました。落書きというより加工と言った方が適切かもしれません。
当時、「横のシワが多い人は柔和な表情に、縦の皺が多い人はいかつい表情になる」という話を耳にした私は、人の顔を盗み見てはどんな具合か観察しておりました。その一環として、どの程度のシワでどれくらい変化が現れるか、写真に加工を施す実験を重ねていたのです。
そのとき授業で取り上げられた小林秀雄は、横のシワを書き入れる対象に選ばれました。おそらく文章の印象から、堅苦しい表情に見えたのではないかと推測します。目指すのは柔和な顔です。
目尻のシワ、口元のシワ、頬やおでこの横に広がるシワを丹念に描き入れました。眉間の縦ジワに比べ、これら横ジワは変化がわかりにくい。そのため、かなりしつこく丁寧に描き入れることとなりました。
授業のたびにシワを描き入れ、「よし、このくらいかな」とできあがった写真を見ると、そこには柔らかな小林秀雄がいました。
ちょっとおばあちゃんっぽくなりました。でも、最初からそれっぽい雰囲気もあったような? いやでも柔らかさのかけらもない顔(※当時の印象)がかなり柔らかくなったよな、と私は満足しました。
どんな授業内容だったかはまったく覚えていません。
そんな小林秀雄の思い出です。
笑顔を大切にしつつ、殺気を放つ
因業な見た目の顔に横のシワを描き入れ、柔和な表情にする加工にハマっていた頃の私は、「みんな穏やかで優しい顔をしていればいいのに」と思っていたのだと思います。
ニコニコしていることは良いことだと思ったし、朗らかでいることを心がけると、自分も周りの人も心地よく過ごせます。実際、素敵だなと思う人はみんな穏やかで優しそうな顔をしていました。
一方、いかめしい顔をした人は怖いし、何か嫌な感じ。個人的な恨みから、眉間に深い皺を刻んだ因業爺婆にはなるまいぞという決意もありました。
「いつも笑顔で」「笑いを絶やさず」、そんなメッセージもそこかしこに溢れています。
そんなこんなで、私はいつでもどこでもニコニコするようになりました。
めでたしめでたし。
……とはなりませんでした。
ニコニコしていればいいというものではないのです。
いやもちろん今でも笑顔を大切にしたいなという気持ちはありますが、「柔和な顔してりゃいいってもんじゃないでしょ」「険しい顔にも理由があるでしょ」という思いは強まるばかりです。
特に、不快に思ったときは、それを誤魔化してはいけません。喜怒哀楽でいうところの「怒」と「哀」です。
私は舐められやすい見た目(よく言えば、優しそう)なので、「殺すぞ」ぐらいの緊迫した気配をみなぎらせるくらいでちょうどいいのかなと思うこともあります。
そうなると、やっぱり体を鍛えて迫力を出すのがいいのかなという考えに至るのですが、結局怠け心に負けてしまうのでダメです。
まぁ、できるところからやっていきます。ぼちぼちと。(殺気とは程遠いなァ……)
ちなみに先の落書きの話ですが、優しそうな顔の人を怖い顔にするのはわりと簡単だったので、早めに飽きました。
そう、優しそうな顔の人を怖い顔にするのは簡単、なのですよ……。
(意味深っぽく言ってみたかっただけで、特に意味はありません)