“いい思い出化”できない傷を私は信じていたいのか

落ち葉と桜の花びら

前回の絲山さんの話を書いていたときに、桜の歌をいろいろ聞く機会があり、その中で気になるフレーズがありました。

“いい思い出化”できない傷を信じていたい

川本真琴「桜」

“いい思い出化”できない傷、恥ずかしくて笑えない過去とどう向き合えばいいのかというところにピッタリ合いました。

そしてしばらくの間、この言葉は頭の中にとどまり続けました。

 

この曲が発売されたのは1998年4月。川本真琴さんが若かりし日に書かれたであろう歌詞です。

つらいこともあったけど、良い経験だった。どんな過去も自信を持って愛してると言える。みたいな言葉を聞く機会ってこれまでに何度かあって、そのたびに微妙な気持ちになったものですが、そうやって変換することなく、傷を傷だと言えることが好ましく感じました。カウンターパンチのようで痛快だとも思いました。

痛いものは「痛い」と言うべきなんだ。つらかったことを「良い経験だった」と変換する必要はないんだ。恥ずかしくて笑えない過去をなかったことにしない。そりゃもちろん本当はなかったことにしたいし、生活に支障が出ない程度には隠しておかないといけない(じゃないと悶え叫び出してしまうから)。けど、完全に消し去ることはしない。そう静かに決意するような気持ちです。

“いい思い出化”できない傷を信じていたい

これがいいことなのかどうかはよくわからないけれど、印象に残るということは、自分にとって真実に近いものなのだろうと思います。

同時に、過去を全肯定できる人に対する羨ましさがあるのかもしれないとも思ったのですけれど、「過去を全肯定できる人」というのは存在しなくて、ただそのように見えているだけなのかなと思い直しました。そうやって「よかった」と言い聞かせることで、前に進もうとしている。だとしたらそれは素晴らしいことです。ただ、わざわざそれを人に喧伝する必要はないというだけのことで。

人それぞれ、いろいろな経験をして、いろいろな思いを抱いて、日々を生きているということに思いを致して優しい気持ちで過ごしていけたら素敵だなとそれほど強く思っているわけでもない言葉が今浮かんだのですけれど(なぜなら今は自分のことで精一杯だから)、こうして出力してみると、その通りだなと思えるので、言葉の力は不思議だなと改めて思います。思っていないことを出力することはできないので、まったくの嘘ではないですし。

言葉通りのことをその人が思っているとは限らないんだよなぁと当初予定していた話とはまったく違うところに行き着いてしまって困惑しつつも、「そうだよね」と思うので、それでいいことにしましょう。

“いい思い出化”できない傷を信じていたい

私は何を信じていたいんだろう。

あなたが信じていたいものは何ですか?

1 COMMENT

くすのき

ナミさん、こんばんは。いつも、心を落ち着けたい時に、ナミさんのブログを読んでいます。
自分がいっぱいいっぱいの今、祖父の命が残り少ないことを知りました。
死にたいと頭をよぎる自分と、祖父に対しては生きていてほしいと思う自分。2つの感情が手に追えなくなり、涙だけポロポロでます。
川本真琴さんの「桜」大好きな歌で、カラオケで学生の頃歌っていました。懐かしくて、ついコメントしてしまいました。そのような歌詞があったなんて、当時の私は気がつきませんでした!どの部分か気になるので、あとで歌詞検索してみます。

いつも穏やかな文章をありがとうございます。いつも助けられています。

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