客観的に見ることができないから、人に聞く

双子コーデの女の子

「もっとこうした方がいいよ」

そんなアドバイスをもらって、ムッとしてしまったことはありますか?

一方的に押しつけられるメッセージは不快だし、「そんなこと言われなくてもわかってるよ!」と言いたくなることもありますよね。

でも、自分ではわかっているつもりでも、実は全然わかっていなかったってこともあるんだよなぁ……と久しぶりに撮った証明写真を眺めながら思いました。

そんな話から関連して思い出した雑感です。

要約
厳しい現実を突きつけられるのはしんどいし、客観的に物事を捉えるのは難しいけれど、自分一人で考えていると、いろいろ偏りやすいから、バランスを取るために、外部からの視点も取り入れていきたいね、というお話です。

ハードな現実を突きつけられた(証明写真)

TOEICの受験に写真が必要だってんで、証明写真を撮りました。

できあがった写真、直視できませんでした。

家に帰って、しばらくしてから、もう一度見ました。

やっぱり嫌だ。無理無理無理。でも、薄目を開けてぼんやり見てみると……、そこまで変じゃないかもしれない。うん、冷静になろう。そこまで変じゃない。そんなもんだ。うん、こんなもん。現実に即している。うん、そうだそうだ。普通普通。

と、自分を慣れさせる時間が必要でした。私はずいぶん自分のことを酷いものだと思っているようです。何らかのフィルターがかかっているのでしょうか。

見慣れない現実に戸惑った日のことでした。

客観的に見ようとしても、結局すべて主観

Dr林のこころと脳の相談室の精神科Q&Aにこんな質問がありました。

【3790】「認知の歪み」を理解している者がカウンセリングを受けても意味があるか

必要以上に自己否定的だと自覚している自分に治療は有効なのか、という教育学研究者からの質問です。

つらつらと書かれた質問文を読んで、勝手に親しみを感じてしまいました。質問者とは思考レベルが全然違うだろうとは思うのですが、あーでもないこーでもないとぐるぐるしてるところはちょっと似てるかもと思ったんですよね。この感じなんかわかるなぁって。

「客観的に見ればこうだ」と思っても、それも結局は主観なのですよね。自分から離れて独立した立場から見ることは不可能。自分というフィルターを通さずに、答えを出すことは難しい。できるのは、客観的な見方に近づける、客観的であることを心がけるってことくらい。

【3790】のQ&Aを読んで、私の「認知の歪み」に対する認識もだいぶ変わったかなぁと思いました。イラつかなくなったのがけっこう大きな進歩かも。これは、主観が客観寄りになったってことなのかな?

参考:「認知の歪み?どうせ私は歪んでますよ」認知療法への抵抗感

自分の後頭部を直接見ることはできない

自分の後頭部を見ることはできません。

「いやいや、鏡を使えば見れるでしょ」

ならば、体内はどうでしょうか。

例えば、消化器官は自分では見られません。中の様子をみるためには、内視鏡をつっこんで内科医にみてもらうか、メスで切り開いて外科医にみてもらうか、……いや、自分で切開して見る方法も不可能ではないのか? 非現実的ではあるけれど。じゃあ、眼球。眼球は自分の目で見えないですよね。あ、片方の目玉をほじくり出せばあれか、そんなマンガもあったよな、あー、やっぱり絶対見れないとは言えないか……

と、こんな生々しい例えを使わなくてもいいんですけど、私が言いたいのは、とにかく自分の目で直接見えない場所があるよね、自分のことでも意外と見えていないところってたくさんあるよね、ということ。

それを整理する際に役立つのが「ジョハリの窓」。二人の心理学者によって提案されたグラフモデルです。(「ジョハリ」とは、ジョセフさんとハリさんの名前を組み合わせたもの)

ジョハリの窓ジョハリの窓 – Wikipedia

Ⅰ.自分からも他人からも見えること
Ⅱ.自分には見えていないけど、他人からは見えていること
Ⅲ.自分には見ているけど、他人からは見えていないこと
Ⅳ.自分にも他人にも見えていないこと

周りの人と一緒に、実際に書き出してみると面白いと思います。

(体内が眼球がとか言わずに、最初からこっちで説明すればよかった……)

「誰かに聞いてみる」という選択肢

「ファッションセンスがないんです。どうしたらいいですか?」

一番確実なのは、「オシャレな友達に全身コーディネートしてもらいなさいな」というアドバイス。

例えば私は、どちらかというとモテない系のファッションが好きです(それはファッションがモテない系なのではなく、あなたがただモテない人間なだけです、などと言ってはいけません)。

だから、私が誰かに良い印象を与えたいならば(要するにモテたいならば)、コンサバ系やらフェミニン系やら、多くの人に受けが良さそうなファッションを得意とする人に見繕ってもらうのがよいでしょう。

そのとき自分の意見は言わない。与えられるがまま。ただ受け入れるのみ。

これが目的に合った最適解を手に入れる秘訣。

こだわりが強く、いろいろ拗らせて、おかしなことになっている人は、こういう行動をたまには組み入れてみてもいいのかもしれません。

といっても、すべてを他者に委ねるのは、基本的には好ましくないので、全委任という行動は、正解が流動的なファッション分野以外には応用しない方がよさそうです。

(なんかいちいち回りくどいな……)

まとめっぽい何か

  • 自分を客観的に見ることは難しい
  • 客観的な答えを得るためには、人に聞くべし
  • 誰かの意見が思わぬベストアンサーを授けてくれるかもしれない

「自分はこうだ」という思い込みは、可能性を狭めてしまいます。

だから、最初から決めつけないで、積極的にいろんな意見を取り入れていけたらいいねーみたいな結論です。

だけどやっぱり、現実を突きつけられるのはつらいもの。

私は自分の証明写真を直視できません。

だから、急いで見えないところにしまい込みました。

客観的な意見を受け入れるためには、強いハートも必要みたいです。

1 COMMENT

かおる

はじめて書き込みします。
いつも、ブログにはげまされています。
今日、30歳の誕生日ですが、一人で辛く泣いています。
家族といても、居心地悪く楽しくないし、私を苦しめた奴はみんなから誕生日祝われているのに、なんで誰も私を祝ってくれないの?

みんな死ねばいいのに。

苦しいです。嫌になります、

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