「認知療法はめんどくさい」
これが私の正直な感想です。
「認知行動療法のワークはとても役立つ。でもそんな気力はない」
「合理的な考え方が思いつかず、余計に落ち込んでしまった」
そんなこともしょっちゅう。体調が最悪でどうしようもないときは「あン? 私の考え方が悪いってこと? あーそー、どうせ私がすべて悪いんですよ! フン!」という感じで、素直に受け入れられませんでした。「私がすべて悪い」ってのがまさに認知の歪みなんですが、これらの思考法に取り組むと、どうしても自分を否定されていると感じてしまって。
冷静に考えれば、自分の偏った考えは適切じゃないとわかるし、人に「そうじゃないよ」「もっとこうしなよ」と言われたら「まったくもってその通りですね」と思います。
でも、「どうしてもそう思っちゃうんだよー!」「それができたら苦労しませんわー!」「あなたに私の気持ちは理解できないでしょうね!」といつも悶々とする。そして、「合理的に考えましょう」という認知療法的な答えに抵抗を感じる。「そんなこととっくにわかっとるわ!」「どうやったら心からそう思えるか教えろや!」と。
私の悲観的な思考のクセはかなり強力でした。中でも否定されることに対する恐れが大きくて。
認知療法の本には必ず書いてあるのですが、決してその人のことを否定しているわけじゃないんですよね。「あなたが悪いんじゃなくて、あなたの“行為”や“態度”がよくなかっただけ」。それもわかっているつもりなんだけれど、否定されることに対する恐怖がハンパないので、「違うよ」と言われることに過敏に反応して誤った受け止め方をしてしまう……。
きっと、人それぞれベストなタイミングがあるんでしょうね。
つらい気持ちで過ごすのは苦しい、だから、少しでも気持ちがラクになる考え方をしよう!
これはすごく良いことだし、大事。
でも、大ケガしてダラダラ血を流しているのに、それを放置して、ケガの予防法を学ぼうと言ったってそれは無理。まずは止血しましょうよって。
私が認知療法を素直に受け入れられなかったのは、そういう時期だったのかもしれないなーと思います。傷口もないし、血だって一滴も流れないから、そのとき自分に必要なこと(例えば休養)がわからず、「何とかしなきゃ!」と気ばかり焦っていました。
それで、ひたすら自分の心の内をノートに書きつけていました。「合理的な考え方」はうまくできなかったので、ぐるぐるぐるぐる堂々巡りの記述。それでも、言葉にすることで、自分の中のモヤモヤを掴みやすくなります。名前をつけることで形のないものを指させるようになるんですよね。擬人化したりもできますし。
強いクセのついた考え方を変えていくためには、そういう準備期間が必要なのかなと思います。
何をするにも、人それぞれ合う合わないがあるので、無理なくできるやり方を見つけられたらいいですね。と言いつつも、偏った考え方は、喜びまでねじ曲げてしまうことがあるので、できれば早めに調整したいところです。カウンセリングもいいかもしれないですね。
こういった私の経験も踏まえて、もっと気軽にいろいろな考え方や改善策を探せたらいいよねーという思いで書いているのが「心をラクにするヒント」カテゴリです。
あくまでも私が考えた答えなので、「解決になってない」「全然役に立たない」というものも多々あると思います。それでも、選択肢は一つでも多い方がいい。
ネガティブな考えが渦巻いて、そこから抜け出せなくなってしまったとき、何らかのきっかけになれば……という気持ちで、モヤモヤの文章化を試みています。
もし私が書いた文章に対して、「あン? 私の考え方が悪いってこと? あーそー、どうせ私がすべて悪いんですよ! フン!」と腹が立ったときは、ぜひその気持ちを大切にしてください。自分の気持ちを無視するといずれ無理が生じます。それに私の考えが間違っていることだってあるでしょうし。
なぜこんなに嫌な気持ちなのか考えたり、どうしたら落ち込みを和らげられるか解決策を探したり、ときにはサボってふて寝したり。
そういう積み重ねが自分を変化させていきます。熟成、発酵でおいしくなる場合もあるので、時にはゆっくり寝かせて。
無理せず、焦らず、ありのまま。
できるときにできることをやる。できないときはできないからやらない。それでOK。
もし気が向いたら、「モヤモヤ整理法」カテゴリや認知療法の関連書籍(Amazonリンク)をどうぞ。きっと何かしらのヒントが見つかるはずです。
私も認知行動療法を知った時『お前の考え方が悪いから直せ』といわれているようですごく気分が悪かったのを憶えています。やはり同じように感じる方もいらっしゃるんですね。
今は私も何となく咀嚼して納得していますが、こちらの記事では私が何となく考えていたことを文章化してくださっていたので心の整理ができました。ありがとうございました。