人生の攻略法はあるのか知らぬが生きているのは暇つぶしで自己満らしいぞ

何か言ってる石像

島倉千代子さんの「人生いろいろ」のメロディで、「人生~自己満♪」と歌っている人がいました。

ほんとそうだねと思うと同時に、愉快な心持ちがしました。

そして、深沢七郎さんの本のタイトル「生きているのはひまつぶし」を思い出しました。

こうやって人生を俯瞰的に眺めると、息苦しさがふっと和らぎます。

つらくなったときはゆっくり深呼吸して、「大丈夫、ちゃんと次に吸う酸素はあるからね」と自分を安心させてあげることが大事だなぁと思います。

つらい気持ちを和らげてくれる、ちょっとお下品な話など

人生は自己満だとか暇つぶしだとか言われても、その言葉で立ちはだかる問題を解決できるわけではないので、無意味といえば無意味。役立たずの言葉です。

どん底にいるときには何を言われても届かない。ブラックホールのようなものがあって、ぜーんぶ吸い込んでしまう。良いも悪いもなく、ただただ「無」。自分自身が吸い込まれないように必死。

自分は価値のない人間だと己を呪っているときも似たような状態なのかもしれません。どんなに鮮やかな絵の具を使っても、黒を混ぜた途端にダークカラーになる。24色入り絵の具を使っているんだけど、全体の分量の90%以上が黒色、みたいな。

だけど、ブラックホールや黒色が悪いものなのかといえば、必ずしもそうではありません。言葉を少し変えて、苦痛が悪いものなのかといえば、必ずしもそうではないってことになります。

痛みに悶えているときにこんなことを言われたら「うるせぇバカ」と言いたくなります。だから「あんたはこの痛みを感じてないんだからいいわよね」と言われれば、ごめんと謝るか黙るかしかありません。それでも、物事の捉えようによっては、痛みを我慢できることもある。私自身がそうやって過ごしてきた時間があるので、あながち間違いだとは言えないと思っています。

まあ、めっちゃお腹痛くてうんこ漏れそうなのに、トイレ行ける状況じゃなくて、このままじゃみんなの前で漏らしてしまう……!的な状況にあったら絶体絶命もうダメだ。我慢できないもんは我慢できないし、もはや死ぬしかないってなるんですけど。

そんな状況で冷静に考えられないのは当たり前ですが、結果的にうんこ漏らして切腹するしかないってなったときは、中川家の礼二さんが番組収録中にうんこ漏らした話を思い出したら、ちょっとは気持ちがラクになるかもしれません、というようなことです。

そういうわけで、ふとしたときに見かけた何気ない言葉に励まされることってあるよね、ということが言いたかったのでした。

やりたくもないゲームを押しつけられたら嫌だ

大きな視点で眺めてみれば、人間なんてしょせんかけがえのある存在です。

意義とか目的とか価値とか、そんなものまやかし。

だけど、その中で素敵なゲームを楽しむことはできます。

ひたすらブロックを積み上げて消してをくり返したり、向かってくる敵を撃破し続けたり、冒険の旅に出て、変な生命体をやっつけたり、とらわれの姫を助けたり、可愛いあの子とときめくメモリアルをつくったり、市長になって街を繁栄させたり。

好きなゲームを選べます。ラインナップは膨大ですから、きっとお好みのものが見つかるでしょう。

ただ、全然やりたくもないゲームを押しつけられることがあります。

どんなゲームであれ、自分次第で楽しむ余地は見つかると言う人もいるし、私もそう思います。

でも、どんなに工夫しても楽しめないゲームがあるのも事実。

そんなゲームを嫌々やっている人がいたら、きっと「嫌なら別にやんなくてもいいよ」と言いますよね。

これは比喩です。

ゲームを人生に置き換えたら「別に人生やんなくてもいいよ」と言うわけにはいきません。

けど、正直なところ、その人の好きにすればいいんじゃないかと思っています。(やめることを好意的にとらえているわけではありません念のため)

私はとりあえずゲームを続行することにしたので、だらだら惰性で操作しているわけですが、やってりゃそれなりに面白く感じることもあります。クソゲーだなと思うこともあります。というか、クソゲーだなと思うことの方が大半。というより、自分が弱すぎて悲嘆にくれるばかりです。お役立ちアイテムをくれた人にささやかなお返しさえできやしない。あぁ、情けなし情けなし。

ゲームがハードモードなのか、プレイヤーである私が下手過ぎるのか。多分両方。いや、多分ノーマルモード。

あ~ダメだね~~~

どんな言葉をもらったらラクになりますか?

そうやって定期的に「本気でもう無理だやめるしかない」と思って、真剣にゲームからログアウトする方法について考えるわけですが、それはそれで面倒。

やるのも面倒、やめるのも面倒。

もしやめたとしても、失敗したら、さらなる面倒が待ち受けているかもしれない。

「面倒」で片づくならいいけど、窒息寸前の苦しさの中にいたら、もうどうしたらいいのやら。自分の意思でやめるやめないを選ぶ余裕なんてありません。

ここで「耐えろ」と励ましをもらって頑張れる人は、頑張って耐えましょう。

私はそう言われると余計にしんどくなります。逆に「やめてもいいよ」と言われると頑張れます。いい感じに肩の力が抜けて余裕が生まれるんですね。だから、いつやめてもいいやと思って過ごしています。

「~しなければならない」より「好きにすればいいよ」と言われた方が頑張れることってあります。少なくとも気持ちは楽になる。

そうじゃない人は、どうしたらいいのかわかりません。

一体何をすればいいのかな?って考えたら、今の自分のステータスと現在地を確認し、目的を決めて、あとは進むだけ。

だけってそれが簡単にいかないのよと思いますが、でも、実際ゴールに向かって進むしかありません。何をゴールとするのか、決めるのは自分。

ここまで考えて再び思い出します。

「人生、自己満」
「生きているのはひまつぶし」

この言葉に何を感じるか、自身のその態度に大切なヒントが隠されているのではないでしょうか。

 

<本日の作品>
島倉千代子「人生いろいろ」1987年

Amazonデジタルミュージック:人生いろいろ

 
深沢七郎『生きているのはひまつぶし』光文社 2005年

頭がボーっとしていたときに読んだので、内容はぼんやりしていますが、「こういう人の存在はありがたいな」と思った記憶です。この「ありがたい」というのは、変な人がいるとダメな自分を肯定しやすくなるというような意味です。そして、この場合の「変な人」は、常識にとらわれないという意味の褒め言葉です。

個人的には単行本の装丁が好きです。黒にピンク、深沢七郎とおっぱい。とても良い。

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