『自殺者三万人を救え!“命”みんなで守る社会戦略』を読みながら考えたこと

自死に関する体験談と社会支援について書かれた本『自殺者三万人を救え!“命”みんなで守る社会戦略』を読みました。

この本が出版されたのは、2011年。2012年以降、警察庁発表の年間自殺者数は3万人を切っています。

自殺者数の年次推移

引用:内閣府 平成27年の状況 参考図表 (PDF)

まだまだ多くの人が自死で亡くなっていることに変わりはありませんが、本書で紹介されている取り組みをはじめ、さまざまな支援活動が実を結んだ結果なのかなと思うと、暗澹たる気分も少し和らぐような気がします。支援活動に取り組む方々に対しては、尊敬の念を抱くばかりです。

本書の前半は、『ツレがうつになりまして。』の望月昭さん・細川貂々さん、うつ専門カウンセラーで自身もうつ病を経験された澤登和夫さんの体験談が紹介されています。そして、NHKに寄せられたメッセージが45。死にたい気持ちや自殺企図・自殺未遂を語るリアルな声です。言葉の一つ一つに当人の思いがあり、他の言葉で置き換えることができない、言葉につまってしまうような現実がそこにあります。

後半は、命を守る社会支援について紹介されています。

死にたい気持ちを抱えている人を社会がどのように支えてくか、どうしたら「生き心地の良い社会」にできるか。そういったことを真剣に考え、真摯に向き合っている人たちがいます。行き詰まり、押しつぶされそうになっている人と一緒に考え、共に生きようと奮闘する姿を知るにつけ、とても心強く思えます。

これらのパートを読むことで、何が問題で、どんな障害が立ちはだかっているのか、課題となっている部分が見えてきます。

例えば、支援の第一歩と言える「相談窓口につなぐにはどうしたらいいか」という問題。

追い詰められて悩みを一人で抱えているときには、相談窓口を探すことは困難です。そういうときに、家族や周囲の人が一緒に連れ添ってあげること、事前に問い合わせるなどして、相談しやすい準備をしてあげること。それはすごく大事なことで、悩んでいる人を助ける現実的な対処だと納得しました。

でも、サポートしてくれる人が身近にいない場合はどうしたらいいのだろう? そういったことも同時に考えされられます。明快な答えはなかなか見つかりませんが、こういった問いは常に念頭に置いておきたいと改めて強く思います。

人の数だけ悩みがあって、対応も異なります。それでも、どのような場合であれ、大切にすべき共通点があると気づきます。

それは「ひとりじゃない」と感じられること。それに気づくだけで心強く思えます。とても大切なことです。

死にたい気持ちを抱えている人にとって、この本は「ひとりじゃない」という安心感や共感を見つけられるものではないかと思います。

そして、サポートする側の人、自死する人の気持ちが理解できないと思っている人にも、知ってもらいたいことが書かれています。

本書を読みながら考えたこと

ここからは私の個人的な感想です。

正直なところ、本書を読みながら、自分のことばかり考えてしまいました。ちょっとナーバスだったからだと思います。

私は今、「生きるのも悪くないな」「あのとき死ななくてよかったな」と思う瞬間があります。声を出して笑うこともあります。でも、別に「生きたい!」とは思いません。だからと言って、「死にたい」と強く願っているわけでもありません。強いて言うなら、「早く土に還りたいなぁ」と淡い夢を見るような心持ち。

きっとこういう気持ちを“前向き”なものにするには、希望が必要なのだと思います。まず、前提として、健康面で痛みを抱えていないこと。経済的な問題や生活の不安が軽減されることも重要です。そして何より愛が効果的なのだと本書を読んで痛感しました。誰かを大切に想うとか、必要とされるとか。そうやって心も体も愛に満たされたとき、きっと生きる死ぬといった事柄に捉われなくなるのでしょう。

多くの場合、生きる姿勢は、虚しさを埋められるかどうかで変わるのではないかと思います。そして、虚しさを埋めるためには、心から愛し愛されることが多くの人にとって有効だろう、というのが今のところの考えです。

「大切な人がいるからこそつらい」「こんな自分でいることが申し訳ない」、そういう人も少なくないようです。でも、どれだけ悲観的にしか考えられなくても、病気が回復して、環境が整えば、つらさも和らぎ、笑顔を取り戻せるはずです。それまでに気が遠くなるほど長い時間がかかるかもしれないし、結果的に関係が壊れてしまうこともあるかもしれません。けれど、希望の道を進むことはできます。希望は何気ない日常から見い出すことができる。それは、『ツレうつ』の望月昭さんや、澤登和夫さんの話からも伝わってくることです。

それでもやっぱり心からの笑顔を取り戻せない人もいるのでしょう。どんなに満たされても、虚しさを拭えない。病気の有無にかかわらず、生きづらさを感じている人の中にそういう人は一定数いるのではないかと感じます。

虚しさを感じていると、「助けてほしい」とか「救われたい」とかいった気持ちも薄らいでしまうことがあります。生のエネルギー自体が枯れてしまうような感覚。自分というものがからっぽになってしまって、胸のあたりがスース―するような、寒々とするような。何をやってもムダという無力感が根底にあるのかもしれません。

 
「死にたくて自死する人はいない」

本書で何度も出てくるこの言葉。死にたいのではなく、生きているのがつらい。まったくもってその通りです。「死にたい」と口にするとき、そこには生を前提とした哀願のようなものがあります。

ただ、これだけでは説明しきれない心境もあるように感じます。それが一体どのようなものか、うまく言葉にできません。「死にたい」と「消えたい」のニュアンスの違いにもそれは表れているような気がします。これは『自殺者三万人を救え!』というテーマとは別に論じなければいけないことなのかもしれません。自死とは関係なく、いつの時代にも存在する普遍的な感覚のようにも思われます。

そのものの正体はわかりませんが、この本を読んでいる間、そして読了後、そのモヤモヤは私の中で静かに広がるのでした。

この部分にアプローチすることで、気持ちが軽くなる人もいるのではないかな? と、わからないながらも、そう感じています。

 

<本日の一冊>

<参考サイト>
平成27年の状況|自殺統計に基づく自殺者 – 内閣府

2 COMMENTS

エマ

わたしも、消えたいと思っていたつらい日々がありました。
でも今は、あのとき死ななくてよかったと思えます。
いま暗いトンネルのなかを歩いてるひと、どうかどうか死なないで。
はっきりとした出口はいまは見えなくても、いつかチラチラとさすあかりが見えると思います。
しんどかったら、歩くのをやめてもいいから、どうか死なないでいてほしいです。

返信する
みつき

お邪魔します。

「虚しさを感じていると、「助けてほしい」とか「救われたい」とかいった気持ちも薄らいでしまうことがあります。生のエネルギー自体が枯れてしまうような感覚。自分というものがからっぽになってしまって、胸のあたりがスース―するような、寒々とするような。何をやってもムダという無力感が根底にあるのかもしれません。」

この部分に激しく首を振りました。
そう!こういう感じ!

私の中では「死にたいと思えるほうが元気」なのです。
だからこういう「消えていく感じ」を思ってはじめて「…あ、本気でマズいわ」と思いました。

乱文失礼いたしました。

返信する

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です