「生きる意味あるの?」
その問いの答えは「Yes」。意味はある。でも、「意義がある」と前のめりな姿勢で答えることはできません。
舞城王太郎さんの小説を読んでいたら、こんな言葉に出会いました。
言葉とは意味である。よってこの世の全てに意味がある。
(『JORGE JOESTAR』p.374)
ズバリだなと思いました。
「生きる意味なんかない」という嘆きについて考えるとき、「そうだね」と思うと同時に、私はいつも困惑していました。「『生きる意味なんかない』という意味があるよなぁ」と。舞城さんのこの言葉はそんな私を満足させてくれました。(このページの最後に、省略した部分を紹介しているので、興味のある方はご覧ください)
「この世の全てに意味がある」と言われると、「うーん」とうなってしまうのですが、「言葉とは意味である」に続く言葉であれば、すごく納得できます。
世界は言葉でできている。だから、当然「生きる」意味もあるし、「生きる意味」の意味もある。
それが「生きる意味あるの?」の答え。
と言いつつ、「生きる」がどういうことかよくわからないし、「意味」が示すものもまだ掴みきれていないのですが……。
なぜ生きる意味を問うのだろう?
この答えに対して「そんなこと聞いてるんじゃない!」と思う人は少なくないだろうと思います。私も、生きる意義を見い出せず、うなだれているときに、こういうことを言われたら「はぁ?」と苛立つに違いありません。
このとき生じる「生きる意味あるの?」は、
「生きていたくない」
「つらい」
「虚しい」
この気持ちを和らげるためには、「なぜ?」を具体的に挙げていくと、漠然とした不快感がはっきりしてくるのではないかと思います。
生きていたくないのはなぜ?
例えば何が一番つらい?
「そんなこと考えるまでもない」
「全部つらい」
確かに、つらいもんはつらい。簡単に解決できない問題もたくさんあります。
じゃあ、それはそれとして、私たちはなぜ生きる意味を問うのでしょう?
生きる意義を見い出したいから?
生きる意義がないなら死んだっていいじゃないか、という思いから?
それとも、もっと他に深い理由があるのでしょうか。
つらい気持ちを和らげるには?
・苦しみから生まれた「なぜ(こんなにつらいの)だろう?」
私の中にはこの両方があって、つらいつらいつらいと思いながら、わけのわからないこの世界に対する「なぜ?」をこねくり回していました。そうするうちに、モヤモヤの正体が少しずつ見えてきて、根っこのグラグラ感が安定してきました。
もちろん今でもモヤモヤだらけです。でも、以前のように、のみ込まれることはなくなりました。自分がいかに無知で傲慢かわかったからです(と思っているだけで、まだまだ理解していないのかもしれません)。
「生きる意味がわからない」と「生きる意味がない」は大きく違います。「わからない=ない」ではありません。
「これは一体何だ!?」という驚きと純粋な疑問。そして、「本当の答えを知りたい!」という欲求。
それ以外の疑問は、別の形に変えると、答えを見つけやすくなる気がします。少なくとも「意味あるの?」だと、期待した答えが返ってこないかもしれません。「意味」の定義によって答えは変わるから。
なので、例えば、
「痛みしかない毎日に耐えてまで生きていたくない」
「つらい」
「苦しい」
と、ストレートに表現するのが良いと思います。
そして、考える。
・何がつらいのか?
・なぜつらいのか?
・どうしたら現状を変えられるか?
・いま必要なものは何か?
追い込まれているときには、こういうことを考えられる状態じゃないと思うので、周囲の誰かに相談するのがよいでしょう。
病気の人は病院へ。死にたい気持ちに捉われて、生活に支障をきたす症状が出ている人も、専門家に相談することをおすすめします。
「周りに相談できる人なんかいない」という人は、国や自治体、NPOなどの相談窓口があります。
もしかすると、期待していた対応をしてもらえないかもしれません。
それでも、ギリギリの生活をしている人を守るセーフティネットがあると知っているだけでも、気持ちは違うのではないかと思います。
【関連】つらくて苦しくて助けてほしいけど誰にも相談したくない人
私ができることは何か?
残念ながら、私には現実的な対応をすることはできません。自分のことで精一杯だからです。
ただ、自分と同じような人、「なぜ?」を持て余している人になら、何か渡せるかもしれない、自分がこれまで考えてきたこと・今考えていることを共有することに意義を見い出してくれる人がいたら嬉しいなと思いながら、このブログを書いています。
「自分と同じことを考えている人がいる」、そんな発見が与えてくれる心強さ。「病んだ時こそ本を読もう。ピース又吉の読書ガイド『第2図書係補佐』」の中で紹介した、中村文則さんと又吉さんが言っているような喜び。
かつての自分が求めていたものはまさにこれだったのだと思います。もちろん、解決策や知識も知りたかったのですが、一番はこの気持ち。
そうは言っても、なかなかうまく書けなくて、もどかしいばかりです。
病気の人も、生きるのがつらい人も、そうじゃない人も、本人が納得して、満足して生きていけること。
それを願う私は、薄着で「Imagine」を歌います。
いまじんお~ざぴぽ~ぉ~ りび~んふぉーとぅで~ あ は~ぁ~~~
<本日の一冊>
舞城王太郎 (2012)『JORGE JOESTAR』集英社
神とは普遍である。神とは言葉である。言葉とは意味である。よってこの世の全てに意味がある。
冒頭にこれを書いてしまうと誤解が生じる気がしたので省略しましたが、「神とは~」のセンテンスがあるかないかで印象が変わりますよね。特に「普遍」というワードは大きい。「神とは言葉である」もグッときます。ちなみに私は特定の宗教を信仰しているわけではありません。
小説で描かれるジョジョ。言葉によって生み出されるスタンド(幽波紋)やビヨンドを感じながらの読書は楽しい体験でした。
舞城さんのイラスト
JORGE JOESTAR ILLUSTRATIONS by Otaro Maijo | JUMP j BOOKS
<本日の一曲>
ジョン・レノン「Imagine」1971年
You may say I’m a dreamer
But I’m not the only one
I hope someday you’ll join us
And the world will be as one
4つ目のフレーズは「will be as one」と「will live as one 」があって、どちらも「ひとつになる」と訳しているものが多いのですが、ジョンはこの「be」と「live」の違いをしっかり意識していたのでは? というのが私の希望的観測です。英語が苦手なので、難しいことはわかりませんが、自分の勘を信じて言うと、「ひとつになる」という訳はニュアンスを表現しきれていないんじゃないかなぁと思っています。