穂村弘のやばさを再確認『野良猫を尊敬した日』感想

卑屈にならず、もっとフラットに向き合えたらいいなぁ。変に自虐したり皮肉ったりするのはやめよう。

『野良猫を尊敬した日』(穂村弘著)を読んで、そう思いました。

北海道新聞の連載エッセイ62篇をまとめた本書。

穂村さんのエッセイ集を久しぶりに読んだんですが、相変わらず面白い。なんでこんなに面白いんだろう。

ストレスフリーな読み物で、「あれ、そういえばなんでだろう?」と今まで意識しなかったところに気づかせてもらえます。共感できるところもあります。周りの人に「えー、それはない」と言われがちなポイントが多い印象です。

字がぎっしりのお堅い本は読めなくても、穂村さんのエッセイなら読めます。最初の一文に焦点を合わせれば、あとは自然に加速する。すぐに「字を目で追っている」という感覚は忘れて、穂村さんのしゃべっている声が聞こえてくる。つるつると入ってくる。ちなにみに穂村さんの声を聞いたことはありません。

読みやすいのは、なじみのない言葉を使っていないのと、一文が短いからでしょうか。ところどころに挟み込まれる「はぁ」とか「うわぁ」とか「うーん」とかいった合いの手が親しみを感じさせます。あとオノマトペが楽しい。

 

『野良猫を尊敬した日』には、私の大好きな穂村さんの短歌も紹介されていました。

サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい

ほんとこれ好き。途方もなく遠く、自分を知る者は誰もいない場所、しかも排出され取り残された大きなうんこに、やり場のない気持ちを伝えようとする感じ。サバンナの片隅に転がっているアイツにならこの気持ち言えるかも。どっしりと重みのあるアイツはきっと黙って俺の話を聞いてくれるよね。

頭の中には広大な大地の映像が広がるのに、「聞いてくれ」と言っているこの人は、狭い部屋で一人背中を丸めている。あるいは横たわって天井を見つめている。そんな姿が思い浮かんで、やりきれなさ倍増。だるいせつないこわいさみしい。

私が短歌に興味を持ったのって、たぶん穂村さんのエッセイがきっかけだったと思います。穂村さんの短歌は、言葉にできない切実な気持ちをうたっているのに、なんか笑っちゃう。素朴な顔をしているけれど、大事なことを的確に描写してパッケージングしていることにおそれおののくこともあります。といっても一部の短歌しか知らないんですけど。

 

穂村さんは自分のことを駄目だと言います。事あるごとに何度でも。イケてる側に憧れていて、でも、自分には無理だと諦めモード。社会とのチューニングが合わない。おしゃれなものが好きだけど、それを言い当てられるのは嫌。

だけど、自虐じゃない。卑屈っぽくない。嫌味も皮肉もない。人をバカにしたりもしない。

ありのままをねじ曲げずに受け取っている感じ。そして、それを素直な解釈・素直な言葉で淡々と書いているのが素敵です。

もしそういう人に見られるように言葉を選んでいるのだとしたら、かなりすごい。

けど、文章に人柄ってにじみ出るから、邪悪な成分はかなり少ないんだと思います。とっても繊細で優しい。だから安心します。同時にほのかな狂気を感じます。ほとんど顔を出さないけれど、その匂いをかすかに感じるというか。

多分このエッセイ集はかなりマイルドで、他の作品を読むとそういう「うわぁなんだこれは」感をより強く味わえるのではないかと思います(予想というか予感)。

小心者エピソードは「わかるー」と思うことが多いものの、「めんどくさい」「がんばれない」のレベルは、一部が突出してとんでもないことになっています。自分の凡庸さを思い知らされるようです。

そもそも、自分の弱いところをこんなにもさらけ出せるってすごい。

そう、穂村弘はすごいし、やばい。弱いのに、超強い。

だけど(だから?)、彼のエッセイを読むと、「弱っちいのは私だけじゃない」と思えて心が落ち着きます。

世界には面白いことがいっぱいだなと思わせてくれる、和みの妙な読み物です。

 

声を張らずに、淡々と。静かで、優しくて、穏やかで、感性豊かで、ツッコミどころ満載の思わず笑っちゃうエッセイはこちらです。

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