得体の知れない不安を感じることはありますか?
先が見えない未来、予期できない突然の危機、周りの人たちが考えていること……。
わからないことは、不安であり、恐怖であり、焦燥のもととなります。
自分自身のこともそう。
潜在能力のような歓迎したい「わからない」もありますが、コントロールできるか「わからない」衝動には戸惑ってしまいます。
さらに、「自分の力ではどうすることもできない」と思い至ったときの心細さは、いかんともしがたい。
この不穏な感覚とうまく付き合うにはどうしたらいいのでしょうか?
自分が何かしでかすかもしれない恐怖
穂村弘さんのエッセイ『鳥肌が』を読んでいたら、激しい「わかる!!!」に出会いました。
見出しタイトルは「自分フラグ」。自分の内に生まれる嫌な予感や前兆についての考察です。
はじめに例に出されるのは、「演劇をぶちこわすフラグ」。演劇を見ている途中で、舞台に上がって何かしちゃうんじゃないか、という恐れです。
次に挙げられるのは、生まれたての赤ちゃんを抱っこするときの不安感。
穂村さんは、こんなエピソードを紹介しています。
子供が生まれた知人夫婦のところにお祝いに行ったときのこと。赤ちゃんを手渡されそうになって躊躇っていると……
妻「大丈夫ですよ」
ほ「でも、なんとなく不安だな」
妻「気持ちはわかりますけど」
ほ「赤ちゃんには慣れてないから」
夫「慣れてないとうまく扱う自信がないってこともあるけど、別の不安を感じる人がいるらしいんです」
ほ「どういうこと?」
夫「つまり、一度も赤ちゃんを抱いたことのない人は、実際にそうした時、自分が何をするかわからない、って思うことがあるみたいなんです」
ほ「何をするかって、例えば……」
妻「窓からぽいって捨てちゃうとか」
「ありえない、とは思わなかった」と穂村さん。「その不安はわからなくはない」と、明晰な分析が続きます。
そして追加されるエピソードは、低い手摺りの階段や低い柵の屋上への恐怖感。軽い高所恐怖症だと思っていたけれど、実は「自分で自分をぽいっと捨てちゃうフラグ」をおそれていたんじゃないか、と。
めちゃくちゃわかると思いました。この「ぽいっと捨てちゃう」という軽いニュアンスが妙にリアル。ものすごくポップな狂気です。
絶対にありえないし、そんなことをするわけないんだけれど(希死念慮にとらわれていない健康状態での仮定)、でも、自分の中に制御できない衝動が存在しているかもしれないことは否定できないから、万が一のことを考えて不安になっちゃうんですよね。
これはほのかな感覚で、よくよく意識しなければわからないものです。穂村さんのエッセイを読むまで、まったく気づきませんでした。いや、何となく感じる局面はあったのかもしれませんが、はっきりと認識はしていませんでした。
穂村さんは、得体の知れないもにょもにょをつかまえるのが本当にうまいなと思います。細かすぎて見逃してしまう身近な「あるある」もそう。共感しすぎて、いつもすんごい気持ちよくなっちゃいます。
言語化すると見つかる答え
不安や恐怖は簡単に解消できません。
でも、誰かと共有することで、和らげることはできるみたいです。
あるいは、今ある状況を俯瞰的に見ることで、不快感にどっぶり浸かってしまうことは避けられます。
そのために必要なのは言語化。
言葉に置き換えることで、もやもやした不穏な感覚をとらえることができます。
ある程度焦点を定めることができれば、あとはそれに向けた対処をするだけ。
そう思えば、何とかやっていけそうな気がします。
まぁ具体的な対処法が見つからなくて困ることばかりなのですが……。
機械を分解して理解するように
「わかる」は「分かる」、つまり仕分けることだ、みたいな話をどこかで聞いたことがあります。
言われてみると確かにそうです。明鏡国語辞典にも「わかる:物事が区別されてそれと知られるようになる」とあります。
対象を頭の中で整理して、カテゴリ分けするような感じでしょうか。
でも、感情や感覚を仕分けするのは難しいですよね。
目の前にあるものをよく見て、仕組みを理解して、分解して、その要素一つ一つを分類して……
と、目覚まし時計を分解するイメージを思い浮かべましたが、感情でそれをやるのはやっぱり難しい。
でも、たぶん似たようなことなのだと思います。きっと例え話の力を借りながらやっていくといいんでしょうね。
そういう意味で、穂村さんの本は、目に見えないものを理解する助けになります。わかりやすい例え話がたくさんあるから。
その上、どれも身近な話なので、すぐわかるし、よくわかる。コンパクトで扱いやすいのも初心者向けかもしれません。
大事なのは、似たもの探しをしながら、「わかった」を増やしていくことなのかなと思います。
理解と共感が人を強くする
「そうだったのか!」は喜びである、というようなことを池上彰さんの本で読んで、深く納得したことがあります(かなり曖昧な記憶なので情報元を確認したいのですが、著作が多すぎてどの本で読んだのかわからない……)。
確かに、知らなかったことや、わからなかったことを理解できるのは嬉しいものですよね。
でも、不安や恐怖など、得体の知れない不快感は、理解だけでは解消できません。
そのとき役立つのが「共感」なのかなという気がします。「あるある!」「わかる~」などの応答ですね。
向き合うのがしんどい不快感を他者と共有することで、ふわ~っと飛んでいってしまいそうな自身をつなぎ止めておくことができるのかなと。他者とのネットワークによって、不安定な足場が固定される感じです。
もちろん、それで、不穏な感情が消えるわけではありません。
でも、それに耐えられるだけの力は養われるように思います。
個人が強くなれば、安定させる力もより強化されるはずなので、よい方向に力を作用させる術を身につけていけたらいいですね。
精神的な力を強化するには、たぶん体を鍛えるのが最善でしょう。
私は全然ダメですわ……。
とりあえず、歩くのがいいですね。
ご近所に住む82歳女子がそう言っていました。
歩きましょう。
<本日の一冊>
穂村弘 (2016)『鳥肌が』PHP研究所
装丁が魅惑的な『鳥肌が』。表紙がぼつぼつしてます。ポップで奇妙な栞もいいですね、綴じ紐も同じ色で、ページを開いたときにチラ見えします。どきどき。えつこミュウゼさんの不穏なイラストも世界観にぴったり。不安や恐怖を増幅させるゾワゾワ感がたまりません。
穂村さんのエッセイはストレスなく、つるつると読めます。気負いなく素直な言葉が綴られているのに、退屈ではなく面白い。それがすごい。本書では、怯えて及び腰な穂村さんが微笑ましくてキュートです。普通にホラーな話もあってぞぞっとしました。
そう、穂村さんの文章にはムダな音がないんですよね。いつも研ぎ澄まされている感じ。それはやっぱり限られた文字数で言葉を紡ぐプロだからでしょうか。でも、全然そんな素振りを見せない。あ、どうも、素朴な僕ですって顔をしてる。だから、心地良いのにちょっと怖かったりします。真実の姿が見えない不安を感じるし、自分の鈍感さが浮き彫りになるみたいで。だけど(だから?)やっぱり穂村さんの感性が好き。
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愛とは何か?美しい語釈と耳に残る歌詞
こちらのエントリの冒頭で、精神科医の春日武彦さんと穂村さんの対談本『秘密と友情』を少し紹介しています。『鳥肌が』にも引用されていました。
はじめまして。
演劇をぶち壊すフラグに凄く覚えがあります。
客席まで降りてきている演者さんの前に今わざと足を出してひっかけたら…なんてやるはずもないことを考えてゾッとしたりします。
そしていつかぼーっとしてたら欲求にしたがってやっちゃうんじゃないかと思ったりします。何の欲求だよと思いますが。
わかる~って共感できて嬉しかったです。
ありがとうございました。