ナミうつブログ

「うつ」のお悩みを軽くするヒントを双極Ⅱ型障害の人が模索するブログです。

「人として」を使う人は自分の意見を無邪気に押しつけてる説

 

まん丸お目々くるくるヘアーの子

「人として」

ここしばらく、この言葉について考えています。きっかけは、1日のうちに3回も「人として」で始まる主張を耳にしたこと。シチュエーションも発言者もバラバラです。なのに「人として」と言うときのニュアンスはそっくり。前のめりで、ちょっと怒りをにじませているんです。

それ以来、「人として」という言葉に敏感になったようで、あちらこちらで「人として」に出会います。そのたびに頭の中にハテナが浮かびます。

「人として? なんだねそれは」
「具体的にどういうこと?」

「人として」発言は正しいことが多い

「人として」という言葉には、不快なものと不快ではないものがあります。

「人としてルールを守るのは当然だ」
「人として思いやりの心を持つべきだ」
「人として正しく生きろ」

まったくもってその通り。

「人として」という説法を聞かされても、自分の価値観と合えばそれほどイヤではありません。なぜなら、押しつけられても平気だから。「ですよね」と思うだけ。上記の言葉も、場合によっては微妙だなとは思いますが、特に反論はありません。

じゃあ、どういうとき「人として」が不快に感じるのか。

私がなんかイヤだなぁ~と思うのは、不適切な言動に対して投げつけられた「人として」です。例えば、人の話を聞かない、自分勝手な言動、感情的に怒り狂う、自分の考えを押しつける、思いやりがない、挨拶ができない、感謝の気持ちが足りない、怠惰などなど、そういうよろしくない言動に対する批判。

「人として、そんなのだめだろ」
「人として、こうあれ」

その通り。実に正しい。自分が不快に思っているとき、「こうすべき」「こうあるべき」とビシッと言ってくれる人がいると、スカッとします。「よくぞ言ってくれた!」と。

でも、「人として」って何? その確信に満ちた決めつけは何?

相手がダメダメな理由とか、そうせざるを得なかった事情とか考慮することで、怒りの感情は変化するでは? もしかしたら、相手の気持ちを想像することができていないのでは? 人としての資質を満たしていない人の心情なんか汲むに値しないということ?

「人として」という言葉を用いる代弁者とその支持者。そういった人たちが生み出す一方的な押しつけは不快です。そして、私も押しつける側の一員になっているかもしれないと考えるとモヤつきます。

人以外のものを当てはめるとなんか変

「人として」ってなんだよと言っているだけではよくわからないので、「人」の部分を他の言葉に置き換えてみることにしました。

「社長として」
「医者として」
「政治家として」

これはわかります。自分に与えられた役割をまっとうすべし、ということですよね。組織のトップとして責任を取る、とか。

「親として」
「子として」

これもまぁわかります。でも、ちょっと不穏ですね。「人として」と似たニオイがします。

「男として」
「女として」

これはデリケートな話題です。私には論じる自信がありません。何にしても不適切と判断されることが少なくない物言いであります。

「私として」

こういう言い方はしません。「人」と「私」はイコールではないようです。「人」は何らかのまとまりを指しているのですね。「私として」を言い換えるなら「私らしく」でしょうか。印象がガラリと変わりますね。

「犬として」
「鳥として」
「魚として」

なんか変。これを言うのは誰? 犬や鳥や魚? はたまた人間? もう少し言葉を足してみます。

「犬として(ご主人に忠誠を誓うのは)当然でしょ」
「鳥として(空を飛ぶのは)当たり前」
「魚として(水中をすいすい泳ぐ)べきだ」

教育テレビのアニメや人形劇でこういう場面はありそうですが、現実世界で考えると違和感があります。動物がこの発言をしていたら「いや、別にそんなふうに考えなくてもいいんじゃない?」と思うし、人間が動物に対してそう言うなら、「何そのお仕着せ」と思います。

「犬でもなく、鳥でもなく、魚でもなく、人として生きる」

これはまぁわかります。

「犬ではなく、鳥でもなく、魚でもなく、人として生きよ」

これもまぁわかります。でも、わかるんですけど、ちょっと違和感。物語の中のセリフみたい。

どうやら私は「人として……せよ」と人に強いているところにモヤモヤを感じてしまうようです。

「人として」でバレる発言者の価値観

「人として」にモヤモヤするのは、型に押し込められる予感がするから。「誰だって」とちょっと似ています。常識、道徳、世間の目、一般論など、曖昧なものを根拠に諭される感じ。

そういう人は例外を許さない傾向があるかもしれません。あるいは、正義感あふれる指導がキツイ人かもしれません。

あなたと私の「人としてこうあるべき」は一致するのでしょうか? その人が想定する「こうあるべき」はどんなもの?

「こうあるべき」を前提としない態度であれば、「人として」という言葉は出てこないはず。個々の事情を考えれば、「人として」という道徳的ルールで一括りにできないこともあるからです。

「こうあるべき」という土壌からスタートしている人は、そのベースを信じて実直に生きてきた人なのでしょう。それは素晴らしいことです。皮肉ではなく、本当にそう思います。

「人として」と言う人
・道徳心がある
・真面目
・正直
・芯が強い
・善良

柔軟性や想像力はちょっと少なめかもしれないですね。ちなみに私も「人として」と言いがちな人間でした。過去形にしていいかちょっと迷うところではあります。

「人としてそれはおかしい」と言う人は怪しい

「人として」と言う人は、多くの場合正しい。ただし、それが適切かどうかは、使い方や内容、シチュエーションによります。

「人としてそれはおかしい」
「人としてこうあるべきだ」

なぜそれがおかしいと言えるのか、「人として」をどういう意味で使っているのか答えられない人の言葉に説得力はありません。だって自分が言ってることよくわかってないのに、偉そうに講釈たれてるわけだから。

自分の発言に箔をつけようとして「みんな」「世間」「普通」を根拠にしている人は怪しいですね。借り物で説教されても、そういう人の言うことは響かないし、従おうと思いません。

何を前提としているか、そこがあやふやなまま話を進めると納得できなくてモヤモヤします。きっとこういうモヤモヤはわだかまりを解消するヒントになるのでしょう。

結局、「人として」ってなんだよ、という疑問は不明なままです。多分それは絶対的なものではありません。時と場合によって変わる。だからこそ、便利で使いたくなっちゃうんですかね。何となく説得力もありそうな感じしますし。

もし「人としてそんなのダメだ」という言葉に苦しんでいるのなら、それは一考の価値ありです。

「人として」は、私の中の要注意ワードリストに追加されました。
 

おまけ:私の「人として」発言

実践!書き出した悩みを処理しようの巻
「人としての豊かさ、深み」って書いてますけど、何それ? 

人間関係における怒り・イライラとの上手な付き合い方
相手の失敗を許すことや寛容な心で受け止めることは、人として素晴らしいことですって。そこ「人として」ってワードいる?

こうやって見てみても、やっぱり「人として」は箔つけるための言葉って感じがしますね。内容がないよー。

 - 心をラクにするヒント  ,

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Comment

  1. 旅の魔導士 より:

    もう一つ二つ付け加えるとしたら「普通そうだ」「そうゆうものなんだ」この二つの言葉も同じように感じますね…。これは絶交した人の話ですが、これらの言葉を使い、こちらの価値観や好みを否定し自分の好みや価値観を押し付けて来ました、でもその人の価値観は全然普通ではなかったですけどね…。恐らくは自己愛性人格障害だったのかもしれません

  2. ぽよぽよ より:

    初めまして。通りすがりにコメント失礼します。
    「これが正しいんだ(私の考え方が正しいんだ)」というのをより公共らしく(あえていうなら政治家的に、口当りよく)言うのが「人として」かなという気がします。結構卑怯な言葉かも。本来なら「自分一人(個人)」の感性の問題として語って良いものを、「みんな(公共性)」を持ち出す事で強化し、高き所(マジョリティ)から低き所(マイノリティ)への薫陶や説教や文化的優越の雰囲気を滲ませる訳ですな・・・つらい。日本人ってマジョリティにとてつもなく弱いから、「みんなそうだ」って話されるとあっさり気圧されてしまいがちな気がする。
    私は個人としてたった一人であなたの前に立ってるってのに、「みんな」を代表して仁王立ちしないと気が済まない人って怖い。だって、本当はその人の言う「みんな」なんて居ないんですよ。「人として」って言う人の頭の中にしか「(その人が想定する)人」なんて居ないんですから。何か割とホラーというか・・・自分の価値観がマジョリティ側だと信じ込んでる人特有のみなぎる自信と独善性がね・・・怖くなる。

  3. 夜間飛行 より:

    はじめまして、うつ歴13年です。
    「人として」、まさに、13年前のパワハラ上司がいつも言ってた言葉です。記事読んでて、納得しました。
    ぼくは、使わないようにしています。

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