ナミうつブログ

「うつ」のお悩みを軽くするヒントを双極Ⅱ型障害の人が模索するブログです。

元気がないからやる気が出ない

 

ベンチに横たわる3人の青い人

やる気がない。

いつもそればかり言っている気がしますが、素直な気持ちを偽っても仕方がないので、「やる気がない」とうなだれながら考えたことを書きます。

概要は以下の通りです。

  • 「やる気がない」と感じるための条件は、希死念慮が最大でないこと
  • 行動することでやる気がついてくることもあるが、ついてこないこともある
  • やる気がなくてもできることはある
  • やる気を元気に言い換えるとわかりやすい
  • やる気には「やってやる!」という気概があり、元気には無邪気さがある
  • どちらの「気」もないときには思わず呪いの言葉を吐きたくなる
  • つらいときは笑おう、笑えないときは空を眺めよう
  • 「海よ俺の海よ」と歌おう

思いつくまま書き連ねたものを読み返したら、こんな内容になっていました。

あとは、いかにやる気がないかを記した日記です。

 

「やる気がない」と一口に言っても、その感覚には色合いというか風味というか濃淡があります。

今感じているやる気のなさは、私にとって馴染みのある無気力感。ですが、ここしばらく不調が続いていて、このいつもの感じは久しぶり。

どうもいつもの無気力感を味わうには、ある程度調子が整っていることが条件のようです。完全に不調で心も体もダメになってしまうと「やる気がない」どころではありません。それ以上に切実な問題が目の前に立ちはだかっているように思えるからです。

切実な問題とは何か、一歩間違えたら死んでしまいそうな感覚、でしょうか。漠然としたもの。曖昧なもの。ただの幻想、思い込みかもしれません。

でも、人は思い込みで死ぬのです。死ぬことはたぶん好ましいことではないので、それをくい止めなければいけない。というわけで、死なないようにしようと必死になるから「やる気がない」と言っている余裕はなくなります。

それにしても、です。やる気が出ない。やる気は出すものではない、行動することによっておのずとついてくるもの。そう自分に言い聞かせて机に向かってみるものの、やる気のなさは変わらない。

やる気なんてついてこないのです。やる気がない状態でもできる行動はあるというだけで。やりたくなくてもやる。ただそれだけ。

でも、やりたくないのにやらなければいけない状況が続くとしんどい。疲れる。嫌になる。そのマイナスゲージがいっぱいになると死に近づくのでしょう。

死は魅力的です。生きているとつらいことが多い。胸が痛くなることが多い。刺激が多すぎて疲れる。弱ってしまう。弱った状態で日々を過ごすことはラクではありません。

この状態から逃れるための選択肢として思いつくのは死。もう、私ったら発想が貧弱なんだから。問題解決能力が低い。いや、たとえそれなりに問題に取り組む力があったとしても、元気がなければ、取り組めない。そういうものです。

そう、「やる気がない」とは「元気がない」と同義です。

やるき【遣る気】とは、みずから物事をなしとげようとする積極的な気持ち。
げんき【元気】とは、ものごとをやろうとする気力。「元気もりもり」。健康であるさま。気力にあふれ、生き生きしたさま。(明鏡国語事典より)

「やる気」には「やってやる!」という勢いを感じます。一方の「元気」には無邪気さがあります。私にはいずれの気もありません。どうすればいいのでしょう。

ここ数年は、政治関連のニュースを見聞きするたび絶望的な気持ちになります。時に死ねと言われているようにも感じます。中枢の偉い人たちは、自分たちにとって都合の良い人間以外はどうでもいいと思っているのでしょう。自覚することなく無邪気に取り組んでいらっしゃるような気もいたします。元気もりもり。嘘もりもり。

言葉を軽視し、人を踏みつけていることに気づかぬまま笑う人間を私は呪う。私は私自身をも呪わなければならない。笑ってこそいないが、多くの犠牲の上に今の私はあるのだ。

とか何とか言っていないと、時間をやり過ごせません。はぁ~~~、いやだなぁ~……。

こんなときにふと思い出すのが「つらいときこそ笑うんだ」という言葉。よいと思います。皮肉ではなく本当にそう思います。「朗らかな気持ちになる確率を高める3つの作戦」でも書きましたし、効果を感じたこともあります。

でも、本当にヤバいときには実践してもうまくいきません。無理に笑顔を作ってみた結果、あるときは泣けてきたし、またあるときは叫びだしそうになりました。目の前にあるものを手あたり次第投げつけて破壊したくなる衝動も。発狂という言葉が似合いそうな感じです。

でも、発狂しそうと思っただけで、実際に発狂はしていないから問題ないのでしょう。いや、精神に異常をきたすことを発狂と呼ぶならば、すでに私は発狂済みなのか。発狂ビフォーアフターのアフターなのでしょうか。よくわかりません。

まぁね、こういうときは空とか海とか山とか各種自然を眺めるのがよいですよね。

海よ俺の海よ 大きなその愛を
男の想いを その胸に抱きとめて
あしたの希望を
俺たちにくれるのだ

なぜか若大将(加山雄三)の歌声が響くのでありました。

 - 雑記・独り言 

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Comment

  1. あじさし より:

    ナミさん、調子悪いのですね。
    僕も「ここから消えてしまいたい。」と思う時があります。ニュースの項目さえ見るのが怖く、一切見たり聞いたりしない時期が何年かありました。ほんとに浦島太郎状態。でも、消えるべきなのは僕らではありません。

    僕が小学生の時、校長先生が「いのちあってのものだね。」と、話してくれました。こどもだから漠然と、命を大事にしないといけないのだなと思いつつ,同時にその実感がわかず難しいこと言うなぁとも感じました。大人になってずいぶんたってその言葉が「命あっての物種。」だと知りました。そんな風に言ってくれたことを思い出し、今はありがたく思います。

  2. あたま より:

    やる気がないときは、やらない。やる気がある時はそれ以上やる、プラマイ、ゼロでいいのでは、ないでしょうか。

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