幸せだろうが不幸だろうが不安は常につきまとうという話をします。
不安から逃れたいと願っているときには救いのない話にも思えますが、完全に救いがないわけではないので、安心してください。
つらい毎日を過ごしているときの不安、小さな喜びを見い出せるようになっても拭えない不安、きっとまた悪くなるに違いないという不安。そんな不安にまみれがちな私が、これまでの心の変化をふり返って感じたこと、自分なりの対処法、心のバランスの保ち方について書きました。
物事には必ず終わりがある
うつ病は気分の波がある病気。
私は双極Ⅱ型という診断名がついておりまして、うつ病とまったく同じというわけではないのですが、うつ状態の気分の波は似たようなものだと思っています。というより、同じ診断名でも個人差があって、うつ病だから躁うつ病だからという言い方は必ずしも適切ではないでしょうし、人に備わったバイオリズムや心の変化の共通点を探っていけば、それは病気に限ったことではありません。(当然のことながら、激しい苦痛を伴う気分の波と健康の範囲内のそれを一緒にするつもりはありません)
というわけで、いま絶望の中にいる人にも絶対に変化があらわれます。それがどういう変化か断言することはできませんが、今の状態が一生続くわけではないことは確か。これは「私もそうだったから大丈夫」という励ましではありません。生きているものはみな変化するし、どんなことにもプラスとマイナスがあるということです。
「プラス=幸せ」かどうかは、これまた微妙なところだなとは思います。だって、電池のプラス極・マイナス極に優劣はありませんもんね。磁石のN極・S極も同じ。波とはちょっと違う気もしますが、2つの相反する動きがあることは同じ。寄せては返す波、コインの裏表、光と影、どんなことにも2つの側面がある。そして、その2つは独立したものではなく、つながっている。あるいは、グラデーションのように変化していく。
苦しい毎日、不幸の連続。でも、その状態がずっと続くわけではない。このことは、つらい最中にいるときには多少救いになります。
しかしながら、まったく救いにならないこともあるんですよね。常に何らかの変化があるということは、今より悪くなる可能性もあります。
「幸せがずっと続くわけではない」
この事実は私を不安にさせるのでした。
ほんのささいなことに喜びを見い出せるようになった。おいしいものをおいしいと感じられたり、人と楽しく会話をして素直に笑うことができたり、生きるのも悪くないなと思えたり。
「わたし、しあわせだ」
だけど、それがずっと続くわけではない。また調子を崩して、地獄の日々を過ごすことになるかもしれない。そして、その可能性は高い。
「怖い」
「そうなるくらいなら、しあわせな気持ちのまま死んでしまいたい」
そんな思いを抱えていたとき、ある人が言いました。
「そういうときは『この幸せが少しでも長く続いたらいいな』と思って過ごせばいいのよ」
その人は、私にいろいろなことを教えてくれた人生の大先輩です。ミーハーで俗っぽい仮面をかぶっているけれど、物事の本質を見抜いている、そんな人物。
だけど、私は思いました。
「つまり、幸せの終焉は必ずやってくるということですね」
口には出しませんでしたが、その事実を改めて思い知らされ、気分はズズズと沈み込むのでした。
不安なときこそ「今」を感じよう
「そういうときは『この幸せが少しでも長く続いたらいいな』と思って過ごせばいいのよ」
今思い返しても、素晴らしいアドバイスだなと思います。この言葉には嘘がありません。おそらく彼女は、「いつかまた悪くなるに違いない」という私の思いを見透かしていたのだと思います。それを思えばこそ、この言葉は本当にありがたいものでした。
だけどやっぱり「この幸せが少しでも長く続いたらいいな」と思えば思うほど、私は悲しくなりました。終わりを考えずにはいられないのです。悪いことの終わりはまったく考えもしないくせに。
もうこの性質は簡単には変えられませんね。私はどんなときでも不安。病めるときも健やかなるときも。不安を目ざとく見つけ出し、焦りや心配で心をいっぱいにします。
いつまでも広がり続ける不安。何とかこれを食い止めなければいけません。そこで私がやったこと。
とにかく「今」を感じよう。
すべては今。今は今しかない。将来の不安も今感じていること。今、この瞬間は、私が心配する未来ではない。過去も同じ。過去を思い出すのも今。今は過去じゃない。と、ぐちゃぐちゃ言っていることさえもはや過去。今今今今今今今……
という具合に「今」をつかまえようと必死になると、不安を一瞬忘れられます。
そう、私にアドバイスをくれたあの人が教えてくれたのはこのことだったのです。
「今」を大切に。
ポジ・ネガに優劣はない
「わたし、しあわせだ」
楽観的な人はその幸せをめいっぱい楽しめることでしょう。そういった姿勢は素晴らしく、生きる上でとても大切なことです。でも、そのかわり、何か取り返しのつかない問題が起きたときの落差は大きいのかもしれません。
不安を持つことによって、問題が起きたときのダメージは小さくなります。今の状態がずっと続くわけじゃないと思うから、最悪の事態を想定して心の準備をする。そう考えれば、悲観的な人は常に危機感を持って事に臨んでいると言えます。その意識を危機管理能力につなげられれば、それは強みになります。
学生時代、慎重であることより冒険を好む生き方が優れているという雰囲気が周りにありました。私もそれが素敵だなと思いました。だから、できるだけ積極的で行動的な自分であろうとしました。だけど、そういうあり方は誰にでも合うとは限らないんですよね。
ネガティブな捉え方しかできず、身動きが取れなくなってしまうことは必ずしも悪いことではありません。不安は自然な反応。そういう人は、向う見ずな人とタッグを組むとバランスが取れるかもしれません。お互いがお互いの足りないところを補い合って、それぞれの力を発揮する。あっぱれです。
そして、自分というものにも、2つの側面があります。悲観的なところと楽観的なところ、慎重なところと冒険を好むところ。どちらか強い方が表に出ているだけで、その裏には相反する心の動きがあるはずです。
それを意識することで、心のバランスが取れるようになって、不安な気持ちも少し和らぐような気がします。
最後に
大きな苦悩を抱えて日々を何とかやり過ごしているときに「苦あれば楽あり」などと言われると、自分のつらさをないがしろにされた気がして寂しい思いがします。
ただ、その「苦」が自分にとってどんな役割を果たすのか考えてみることで、何か心を楽にする手がかりは見つかるかもしれません。
表裏一体。
好きな言葉の一つです。
幸せだろうが不幸せだろうが不安は常につきまとう。だけど、その不安の裏にも反対の何かが隠れている。トロとクロ、どこでもいっしょ。
ナミさんこんばんは
お久しぶりです^^
『不安は常に付きまとう』
たしかに!!
そう、それなんですよ!
分かってはいるんですけど、つい不安をクローズアップしすぎてしまう癖が治らないんですよ(笑)
気分が落ち着いていても、どことなく片隅にいるんですよね、不安ちゃんが(笑)
以前は平気だったくらいの小ささでも、今は耐性がくずれてしまったんだと思います
だからこの世の終わりかってほどツラい。
目の前のツラさだけに感心がいってて、当たり前のことを忘れていました
なので、今回思い出せて少しスッキリしました
ありがとうございます
これからのブログ更新も楽しみにしてます
体調崩されないようにだけ、どうかご自愛くださいね(*´ω`*)