後悔しない意思決定 ― ハッピーを手にするために役立つ「諦める」作戦

写真とカメラ

諦められないことはありますか?

忘れられない過去。
追い続けてきた夢。
いつまでたっても拭えない後悔。

理想を追い求めることは素敵なことです。

でも、それと同じくらい大切にしたいことがあります。

「道半ばで投げ出した自分は弱い」
「逃げ出した自分が情けない」

そんな思いが消えず、自己嫌悪に陥っている人と共有したい話です。

自分の立ち位置や実現可能性を考える

「諦める」という言葉から、あなたはどんな印象を受けますか?

「諦める」の語源は「明らめる(明らかにする)」。「明らむ(先を明らかに見て、否定的に悟る)」から、「心にはっきり決める」「迷いを断ち切る」という意味を表すようになり、現代の「諦める」につながったのだそうです。

何かを決めるときには、いくつかの選択肢の中から一つを選び、それ以外の選択肢を諦める。そうすることで、歩を進めることができます。

例えば、受験。合格できるかわからない第一志望・A高校を受けるか、それなりに勉強すれば合格できそうなB高校を受けるか、確実に合格が見込めるC高校を受けるか。

いずれかの選択肢を選ぶためには、それぞれの可能性をはっきりさせる必要があります。偏差値や模試の判定、過去の出題傾向、自分の学力の伸び、確保できる勉強時間などなど。諸条件を勘案して、どれがベストな選択か考えます。

その過程で「諦めるな」「チャレンジすることが大切」といったメッセージを受け取ることがあります。伸びしろに期待して、最大限の努力を引き出す叱咤激励。前向きなパワーを与えてくれる言葉です。

ただ、伸びしろは限られています。それを考慮せず、実現可能性が低いA高校を受験することは必ずしも正しいとは言えません。

自分にとって一番満足できる選択は何か? それを叶えるために何をすべきか? 妥協できる部分はどこか?

これらを明らかにすることによって、失敗や後悔を回避することができます。

……と、こうやって受験で考えると当たり前のことのように思えますが、人生における意思決定の場面では、見通せないことがたくさんあります。偏差値のようなわかりやすい目安もありません。

だからこそ、「こうなったらいいな」と同じくらい「諦めること」、自分の立ち位置や実現可能性を知っておくことが大切になってきます。

なぜ「諦める」には否定的な印象があるのか?

「諦める」という言葉にはマイナスのニュアンスを感じます。なぜでしょうか?

私がこれまで感じてきたのは、「諦めるのは悪いこと(だから諦めちゃダメ)」という暗黙のルール。あるいは「諦める=投げ出す=弱い奴」という図式。これを使って常に「もっと上を目指せ!」「もっと欲しがれ!もっと求めろ!」と求められていた気がします。

諦めずに努力するメリットはたくさんあります。

例えば、ノルマを課したり人と競い合うことでより良いものが生まれます。目標達成や勝利を至上とする教育は、優秀な人材を確保するためにも役立ちます。

強き者は弱き者を守ることができます。鍛錬を重ねれば、うまくできることが増える。そのスキルを使ってたくさんの人の役に立つこともできるでしょう。何より自分の成長を感じられること自体が喜びとなります。だから、諦めない心・強いハートを養うことは素晴らしい。

また、求めることを推奨するメリットもあります。

皆が欲しいものを買うことによって経済が回ると良い循環が生まれます。

購買力を高めるために、欲しくなる工夫をする。時には不安を煽って手に入れさせようとする。

「欲しいものを買うためにガンバレ!」

こうやって欲を満たしていくことでハッピーになれます。幸せを得るために頑張るのは素敵なことです。

でも、全員がこういった喜びを勝ち取れるわけではありません。競争を強いられても、適性がないとしんどい。どんなに努力しても、適性がある人には敵わない。

それは悪いことではありません。誰にでも得手不得手があります。大事なのは、できないことに執着せず、自分の力を発揮できる場所を探すこと。

にもかかわらず、それを無視して、諦めないことを是とするのはなぜ?

それはきっとみんなが諦めずに頑張ることで得をする人がいるから。

捉え方によっては、「みんなが頑張れば社会全体がよくなるし、巡り巡ってみんなハッピーになれるんだよ」と言うこともできるかもしれません。

でも、実際得をしているのは一部の人だけのように感じられることがあります。

諦めないことを強いられる雰囲気の中で、傷ついてボロボロになっている人がいるような気がします。

屍を越えてゆけ的なことでしょうか。

必要以上に屍が生み出されてはいないでしょうか。あちらこちらに屍がゴロゴロしているように感じられてなりません。きっと私も役立たずの腐った屍です。

そこに志はあるだろうか

どんなハッピーも数々の犠牲の上に成り立っています。

それは、ご飯をいただくときにも感じることができます。

貪欲に成長を欲することは大事です。

でも、何でもかんでも貪欲がいいというわけではありません。

わき目もふらず突き進む態度は、時に誰かを傷つけてしまうかもしれません。

そうなることが致し方ないこともあるけれど、無自覚でいたくないものです。

盲目的に「諦めない心」を大切にしていると、見失うものがたくさんあります。

そういうとき、視野はとても狭くなっています。

明らかな見通しが立っていないし、そのとき為される行動は自分の意思で決めたことだとは言い難い。感情に流されているだけかもしれません。

だから、あきらめること、明らかにすること、自分の意志をもって決めることが大事。

病気になる前の自分によくよく言い聞かせたいことです。

戦略的撤退でハッピーを手にしよう

諦めないで頑張ることと同じくらい、状況を明らかにして適切な選択をする(あきらめる)ことも大事。

でも、諦めるしかないとわかっていても、どうしても諦められない。そんなこともあるかもしれません。

それは悪いことではなく、素敵なことだと思います。

だって、それだけ強い思いをもって生きられるのは素晴らしいことだから。

諦められない夢がある。忘れられない人がいる。

その気持ちは生きる糧になるのではないかと思います。すべてを悲観的にとらえれば、自己嫌悪になってしまいます。でも、その思いを別の形に昇華することはできるはずです。

あるいは、都合の悪いことを見て見ぬ振りして、その場にとどまる選択もあります。別にそれならそれでいいと思います。誰かに迷惑をかけさえしなければ。

もし諦めることに罪悪感を覚えるときは、もしかしたら誰かのために頑張らされているのかもしれません。自分の喜びのためではなく、誰かに喜んでもらうためだとか。誰かが得をするために、諦めることはいけないことのように感じさせられているとか。

「諦める」という言葉に敗北感を覚えるときは、「戦略的撤退」と言いましょう。

カッコ良い感じがするし、前向きだよねーと言いながら、事あるごとに使っています。

さあ一緒に、戦略家・ストラテジストを目指しましょう!

 

<参考文献>
前田富祺監修 (2005)『日本語源大辞典』小学館
増井金典 (2012)『日本語源広辞典』ミネルヴァ書房

繁桝算男 (2007)『後悔しない意思決定』岩波書店

意思決定の解説本。心理学、統計学、確率論から最適解を導きます。

本日の投稿は、こちらの本からヒントを得て書きました。

2 COMMENTS

プーアル

人間捉われるからしんどくなりますよね。
良い仕事に就きたい、お金持ちになりたい、素敵な結婚したいなど、私ももちろん、皆様いろいろな価値観をお持ちです。
捉われたほうが努力するかもしれないから、捉われることも意味がありますが、しんど過ぎると思ったら、捉われている価値観を本当に捉われる必要ある?って再考します。
私は、悩み症でしんどいときが多いのですが、捉われすぎないようにすると、無事生きているだけで十分でそれ以外のことってたいしたことない、って思えて楽になることもありますね。

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みつき

お邪魔します。

今日の文中で、

「例えば、ノルマを課したり人と競い合うことでより良いものが生まれます。目標達成や勝利を至上とする教育は、優秀な人材を確保するためにも役立ちます。」

最近見たTVでも言ってたのですけど、この「優秀な人材」になれない私はどーしたらいいのかなぁって思います。
(ナミさんの文章の揚げ足をとるつもりは毛頭ありません)
みんながみんな「優秀な人材」になれないですよね…そこからはじき出されちゃった人はどこへ行けばいいのかな…

お目汚し失礼しました。

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