諦めることは悪いことだと思って生きてきました。
目標に向かって努力することが大事。努力を続ければ、結果はついてくる。
そう信じていました。
でもやり方が下手で、破綻してしまいました。抑うつ状態に陥って、何もできなくなりました。
何でもかんでも「頑張らなくては」「全力で取り組まなくては」と力むのは不適切。
そう気づいた私は、偏った考えを修正するために、諦めることを自身に推奨しました。「諦めも肝心」と言い聞かせました。
その結果、生きるのがかなりラクになりました。
でも、最近ちょっと何でもかんでも諦めすぎかなという気がしてきました。
諦め癖がついてしまったのでしょうか。
でも、じゃあ自分は何を諦めてるのか自問してみると、「はて、自分は何を求めていたのだっけ?」と答えを見つけられません。
そして気づきました。
「もっと明るく前向きに生きるべきだ」という価値観がチラついている。
これだ。
明るく前向きに生きることは良いことです。「バイタリティ溢れる」と言い換えるとよりしっくりきます。
ただ、抑うつに悩まされている今の自分にそれはなじみません。「明るく前向きに生きるべきだ」と言われても困ってしまいます。コンディションによっては、現状を否定されたように感じて寂しくなります。
その点、軽躁状態と思われる時期は、エネルギーがみなぎっていました。やたら活動的で、「やるぞ!できるぞー!!!」と元気いっぱい。気合いを入れなくても、自動的に作動しました。
それでも、よくよく思い返してみると、根底には「明るく前向きに生きるべきだ」という意識はあったと思います。ハイテンションの波が少し落ち着いたときには、意識的にテンションを上げていたような気もします。
もちろん、そうした方が自分も気分が良いから「明るく前向きに」していたのですが、元々の性質に合っていたのかと考えると、ちょっと無理があったのかもしれないなとこの頃は思います。
例えるなら、自転車や原付バイクは高速道路を走れないんですよ、といった感じでしょうか。うーん、ちょっと違うかな……。長らく抑うつ状態になじんでしまってそう感じるだけかな……。
「諦める」という言葉を使うからいけないのかもしれないですね。「諦める」と言うと、ネガティブなイメージがつきまといます。投げ出すとか、逃げるとか、弱気で後ろ暗い雰囲気。
ならば、「自分が望むことを諦める」を「今の自分にできることをやっていく」と言い換えたらどうでしょうか。これなら前向きな考え方だと言えないでしょうか。
「現状を受け入れて、羨ましがるのをやめましょう」。いや、羨ましく思うことをやめるってのは何かおかしいので、「こっちの素晴らしいところを見つけようぜ」というあたりが無難かな。
「諦めちゃいけない」と思うときって、誰かに否定されるのを恐れていることもあるんですよね。「忍耐力の足りない弱い奴だ」「だからおまえはダメなんだ」と言われたくない。否定されたり拒絶されたりするのはつらいから。
言葉選びって大事。
「ものは言いよう」というだけかもしれないけれど、自分を元気づけてくれる言葉があるなら、それを使った方がいいですよね。
人の言葉に対しては、受け止め方によって変化があるだろうから、受け身の練習をするといいかもしれません。
うん、柔道教室に通おうか……(妄想スタート)
【現状を正確に理解しよう】
できないことはできないと認めるしかない
【受容に飛び級はない】
人の心が変化するプロセスとうつ病を受け入れて自由になるためのコツ
【戦略的撤退と言おう】
後悔しない意思決定 ― ハッピーを手にするために役立つ「諦める」作戦
僕も同じようなことを考えることがあります。
体力がないから、気持ちがわかないから、経済的なことから。診察で医師にあきらめているので、と言ったこともあります。
今思うんですが、それはいいわけなのでしょうけど、自分を赦すということなのではないかと。誰からも「君を赦す。」と言われたことがないので、できない自分を自分で赦す。
こうあるべき、これが当たり前、ができない自分を赦す。そう言ってあげないと苦しくなります。
更新ありがとうございます。
あくまでも個人の考えですが、
もう少し俯瞰してみるのは、どうでしょう。
億年の時間の流れの中で人生なんてたった80年。解釈は、人それぞれですが。
ナミさんこんばんは。
更新ありがとうございます。
自分が思ってた事を整理して文字にしてもらった気がします。ありがとうございました。心が乱れた時に繰り返し読みたいと思います。
本当にありがとうございました。