昨夜の金曜ロードSHOW!ご覧になりましたか? 『火垂るの墓』。
私は……見ちゃいましたよ。本当は見ないでおこうと思ってたんですけどね。居間から聞こえてくるんですもん。「兄ちゃん」「いかんといて」っていう節子の声が。その時点で、もう完全に持ってかれましたよ、私の心は。で、結局テレビの前で泣きました。そして、チーンとなりました。
さらに、高畑勲監督の14年ぶりの新作『かぐや姫の物語』が公開されるとのことで、特別映像も放送されました。
余韻が残っていたからか、たった6分という短い時間にもかかわらず泣いてしまいました。二階堂和美さんの歌声がまた涙を誘うと言いますか。
そして再び、チーン……。
落ち込んでるときは見ない方がいいかもね
数年前に『火垂るの墓』が放送されたとき、私は激うつ期。どうしようもない絶望の真っただ中にいました。そんな状態で『火垂るの墓』をガッツリ鑑賞してしまったので、その後の落ち込みは大変なものでした。
「戦時下を生きた人たちは本当に大変な思いをしたんだ」
「国のために命をかけた人がたくさんいた」
「若くして亡くなった人もたくさんいた」
必死に守ってきた妹・節子を亡くした清太。貧しい暮らしの中で見せた節子の笑顔。
「私は……」
「こんなに恵まれているのに『つらい』と思っている」
「平和が当たり前で、感謝の気持ちを持てなくなっている」
「なんでこんなカスみたいな私が生きてるんだろう」
「私に生きる資格なんてない」
「生まれてすみません」
と言う具合に、完全な太宰治思考に陥り、自責の念に捉われるのでした。
これだけが原因ではないでしょうが、このときの落ち込みはかなり尾を引きずりました。『火垂るの墓』は私のネガティブなツボを押すようなので、精神的に不安定なときには見ない方がいいなと学習しました。
涙を流すことで気持ちに変化があらわれることも
見ない方がいいと言う一方で、『火垂るの墓』を見てワンワン泣くのはストレス解消になるかもしれないとも思います。昨夜、涙を流しながら、「泣く」という行為はとても気持ち良いことのように感じたからです。
もちろん、つらいこと、苦しいこと、悲しいことがあって、涙を抑えられないような状況に置かれれば、そんなことは考えられません。私だって、心の痛みを感じているときに「泣くという行為は気持ち良いことなのだよ」なんて言われたら、「うるせー! ふざけんな!」とキレます。心の中で。
しかし、『火垂るの墓』を見て自然と泣けてくるのは、人(自分も含めて)の痛みを感じられたということ。それはとても素晴らしいことなのではないかと思うのです。どんな小さなことでも何か心の変化があったのならば、それだけで素敵なことなんじゃないかと。何も感じられなかったとしても、それはそれで気付きを得るための材料になりますしね。
また、涙にはリラックス作用があるともいいます。眠るのと同じように、情動の涙は交感神経の緊張をゆるめて、副交感神経にスイッチを切り替えてくれる効果があるのだそう(副交感神経はリラックスしているときに働きます)。
反対に、泣くのを我慢してばかりいると、ストレスを解消することができず、新たなストレスを生み出してしまうこともあるようです。
心理学で精神の浄化を意味する「カタルシス」もそうです。カタルシスとは、心の中にあるわだかまりが何かのきっかけで一気に解消すること。
もしかしたら、『火垂るの墓』を見て心動かされたことがきっかけとなり、モヤモヤが解消するかもしれません。もちろんこの作品に限らず、自分が感動したものなら何でも。
泣きたい時は、思いっきり泣く。これって大事なことなんですね。
『火垂るの墓』を見て私の心に浮かんだこと
空襲で母を亡くし、妹・節子のために必死に生きようとする清太。そんな兄ちゃんが大好きな節子。
同居することになった清太と節子にキツく当たる叔母。そしてその家族。
野菜泥棒をした清太をボコボコにしたおじさん。傷を負った清太をかばう警官。
この物語に登場する人々は皆、戦時下の重苦しい空気、貧しさの中で必死に生きています。誰も責めることはできません。
節子の命が果てる前に、清太は他の選択をすることもできたはず。
でも、自分が清太と同じ状況に立たされたらどうだろうか……?
あぁ~、ダメです。またチーンってなります。今日はこの辺でやめときます。
自分も、体調が良くないこともあり、心が苦しくなり涙が出てくることが分かっていたというのもあり、何より作品とそこから生じる感情等の思いに引き込まれることを感じていたので、あえて観ませんでした。
自分の過去から、「男のくせに涙を流す、ましてや、見せるものではない」
と言われてきた自分にとって、
無意識に我慢してしまっていて、涙を流して泣くという表現が出来なかった頃は、本当に心にフタをされている感じで、『火垂るの墓』を観ても感動というより、苦しく辛いものでしかありませんでした。
でも、今は、昔ほど、涙を流せるようになってきましたが、過去言われてきた言葉
「男なんだから泣くな!」という思いに反発するように
「自分だって人間なんだ!涙を流して何が悪い!」という、心の叫び、怒りの感情も湧いてきて、悲しみと怒りと苦しみがゴチャゴチャになってしまうので、自分の体調が良い時以外は見ないようにしています。
>涙を流すことで気持ちに変化があらわれることも
涙を純粋に流せた時は、ナミさんの言われたように、気持ちに変化があらわれ、物凄いスッキリして、幸せな気分を感じられることも確かです^^
そして、ナミさんの記事を読んで、思い出した言葉が
『思孝が悲しみに翼を与え、悲しみが飛翔する。それに対して反省をもってすれば、翼がへし折られて、悲しみは地上を這い回ることしかできなくなる、悲しみは、いつも空高く飛翔するものであってほしい』
という言葉でした。これは、フランスの哲学者・アラン(本名:エミール=オーギュスト・シャルティエ。アランはペンネームで、ペンネームのアランの方が有名。)という人の言葉で、この言葉に出会った時から、思孝=言葉・文章(活字)を基とすることだと思い、できるだけ良い言葉だと思ったことは、ノートに書き留めて、度々見るようにしていています。
落ち込んだりする時ほど、良い言葉は輝いて観えると同時に、自分の心の奥に栄養が行き渡るように、少しずつ・・・たまに、すごく元気になっていくことがあります。それが一つ、20代から今までの自分の心を支えています。
だから、20代の時は、理解できる出来ないに問わず良い言葉のシャワーを浴びるように、触れていくことは、とても大事なことと思います。
いつも、ありがとう。
ナミさんが、少しでも健康で幸せでありますように。
>伸(shin)さん
ほほ~ぅ、高尚なアランの哲学、私の脳内では「反省しても後悔しない」という安直な言葉に変換されてしまいました。あれ? 反省は翼をへし折るんだから、コレ違いますね。私にはまだまだ修行が必要です。
伸さんの知識量は半端ないですね。すごい! 伸さんブログ始められてはいかがですか? きっと多くの人の役に立つこと受けあい。
こちらこそ、いつもありがとうございます。お互い、健康第一でいきましょう。
返信ありがとうございます。
知識があっても、今現実に生かせていることは少ないので、自分もブログを始めることを考えてみます。
アランの言葉は、フランス語を日本語に訳す人によって違いがあり、実際、自分は理解していたつもりでいて、理解していなかったようです。
ナミさんが言われていた
「反省しても後悔しない」
という言葉を聞いて、
①思孝=反省(前向きな反省)
②反省(後ろ向きな反省)=後悔
と、変換訳することで、「反省しても後悔しない」
という言葉が、最もあの訳に当てはまると思いました。
『思孝(前向きな反省)が悲しみに翼を与え、悲しみが飛翔する。それに対して反省(後悔=後ろ向きな反省)をもってすれば、翼がへし折られて、悲しみは地上を這い回ることしかできなくなる』
色々とありがとうございました^^
健康第一にいきましょう
>伸(shin)さん
なるほど。的確な解説ありがとうございます。
私が日々思い知らされるのは、「言うは易く行うは難し」ということ。
またいろいろ教えてくださいね。
>ナミさん
返信ありがとうございます^^
本当に現実、特に人間関係においては特に、「言うは易く行うは難し」ですよね。
自分も感じています。
ナミさんが書かれた
『人間関係のいざこざを改善する7つの方法』を読んで、ますますそう思いました。
こちらこそ、また色々と勉強させて下さいね^^
まさに今火垂るの墓が放送されていて、観て学ぶべきなのにどうしても「自分が生きていて申し訳ない、何もできない」と極端な思考が離れず、観ていてただ落ち込んでしまいたどり着きました。ただ感情移入するだけで具体的に今後に結び付けられないのは、きっと浅い思考でしか観られないからだと思います。もっと「事象」として豊富な知識を持って鑑賞すれば、そこから自分の考えをもてるのでしょうが、私は中途半端に不安がり、怖がり、涙は出るのにいざ意見を求められると思考停止するだけできちんとそのテーマと向き合ってはいないのです。落ち込む方向に行ってしまうのは仕方がないけど、ある種「こういう事があったのか」と距離を持って、勉強として観られるようにしたいです。ただ観ないという選択肢があることには勇気づけられました。ありがとうございます。長文ですみません。