家の中を整理していたら、昔の写真が出てきました。以前だいぶ処分したつもりだったけれど、まだけっこう残っていたみたい。
おそるおそるアルバムをめくります。
懐かしさでいっぱいです。
同時に、思い出したくない記憶がなだれ込んできます。
これはきついでございますわ。というわけで、処分する分をひとまとめにして裏返しました。「あとで処分する」のタグをつけて、とりあえず隠す。一旦休憩。ふぅ~
写真の威力はすごい。
どっと疲れました。
その後、しばらく気分が沈みました。
私は双極性障害のⅡ型と診断されています。
双極性障害はうつ症状と躁症状をくり返す病気です。Ⅰ型は躁が激しめで、Ⅱ型は躁が軽め。
軽めとは言っても、軽躁状態もなかなかやっかい。周りから見れば、人が変わったかのように見えたりするらしい。が、躁状態の本人的には「いつもより調子がいいッ!爽快ッ!」くらいの認識。さらに、実際いろいろうまくいくこともあったりするから悪いとも言えない状態。
それでも、いざモードチェンジし、うつ気味になれば、当人の認識も180度変わります。うつ状態の自分から見ると、躁気味な自分は、自分とは思えない振る舞いをしているように感じる。「なんであんなこと言ったんだろう」「調子乗りすぎ、恥ずかしい」など、精神的ダメージをくらうことも多々。元気いっぱいの自分の写真を見せられた日にはもうたまらない。
双極性障害の人は、躁状態のときの記憶をどう扱っているのでしょう。
どくとるマンボウの北杜夫や中島らもみたいに、強烈な躁エピソードを本に書いている人はいます。坂口恭平さん(作家?アーティスト?)の体験談もなるほどと参考にさせてもらっています。けど、なんというか、もっとこう平々凡々とした人々のちょっとした躁エピソードや向き合い方を聞きたいなと思うんですよね。しかしながら、自分がこれだと思うものはなかなか見かけません。
そりゃ話したくないよねぇ~と勝手に思っているけれど、実際のところはどうなのか。自分の観測範囲が狭いだけの可能性はありますが。
作家の絲山秋子さんも自身の病気について書いていますが、躁エピソードすべてを語っているわけではありません(参考:『絲的ココロエ』感想)。躁状態だったときのことを思い出すのはつらい。私はそのことに深く共感しました。ほんとにね、笑えるハイテンションと笑えないハイテンションがあるんですよね。笑えないハイテンションは痛いんですわ思い出すと変な声が出ちゃうあはははは泣
それでも、「人に言えない」という当事者の姿には励まされます。「私だけじゃないんだ」と思えて、心細さが少し和らぐ。絲山さんの記述はまさにそれ。事あるごとに思い出します。昔の写真を見つけてダメージを受けたときにも思い出しました。
時間が経つにつれ、人は変化するけれど、別のものに変身できるわけではありません。
受容のステップはまだまだ続く。
じわじわじわじわ、少しずつ少しずつ。
写真の威力は強いので、吹っ飛ばされないように気をつけます。気をつけましょう。
ナミさん^^
お久振りです。
自分もナミさんブログに出会って、当時社会復帰目指して、もう9年位前ですね。
鬱対策さんざん立てた中、後に双極性診断されました。
自分の躁エピソードは、会社に入って全く怖いもの知らずに、おかしい事は自分で意見言ってでしたね。
複数の人の前でも、
会社の代表にも当時「てめえは、自分の考えと全く別の事しろ、そしたら全て上手くいく」
何てメール送ったり、
当時会社で、チームリーダになったのも、双極性が上手くいったって、主治医から言われました。
今年でうちの会社に入って8年ですが、うちの母いわく
「お前今の会社でなければ、数回首になっている」って言われています。
一番怖いのは双極性と診断されず、自分は鬱だと思っていた頃
鬱は人に迷惑かけないけど、躁の方がお医者さんから「怖い」って当事者もそう思いますね。
自分は怖いので毎日お薬飲み忘れないようにとか、
もしその状況が出て離れていく人は仕方がないって割り切っていますね。
双極性じゃない人でも、長文ライン、長電話するしね
自分もそんな感じですが、、
周りの人間関係、、
優しい人一杯います。
あまり考えないようにしていますね。
考えても仕方無い事考えないですけどね^^
自分の場合ですけどね