若者をみくびる、机上の空論先生の話

なんか怒ってるっぽい猫
学生の頃、「机上の空論」が口癖の先生がいました。

その先生は、いつも怒りを滲ませていて、あまり好きではありませんでした。若者をバカにするような発言も多かったです。“経験の伴わない頭でっかちの奴ら”が好きではないようで、事あるごとに「机上の空論云々」と説教めいたことを言っていました。

ただ、言っていることは正論で、「確かにその通りだな」と頷くことが多かったのも事実。それゆえ、わかりやすい批判もできず、ますますフラストレーションを溜めていたように思います。

そんなこんなで、できるだけ好意的に捉えようとしても、生理的に好きじゃないという気持ちは否定しようがなく、顔を見るのも嫌だと思っていたのですが、なにかにつけてすぐ「机上の空論」と言うので、そればかりが印象に残り、気づけば私はその言葉を心待ちにして、「ふふっ、また言った」と一人喜ぶようになっていました。

そうして、単純接触効果でしょうか、何度もくり返し「机上の空論」との文句を耳にするうちに、私もすっかり「机上の空論」という言葉が好きになってしまいました。当時は煽りの言葉のように使っていました。「はい出たー」「机上の空論wwwwwwwwww」みたいな感じ。「欧米か!」的なおもしろツッコミとしても作用していたと思います(「欧米か!」ってものすごく古い感じがしますね……)。

そのうち飽きて、そこまで喜ぶことはなくなりましたが、「机上の空論」という言葉を聞くたび、先生のことを思い出します。ほんとすごい「机上の空論」て言ってたな、一体なんだったんだろうな、と。

 
なぜ今そんなことを思い出したのかわかりません。

ただ、こうやってブログを書いていると、自分が書いていることはまさに机上の空論だと思うことは多いです。いや、経験談や感想や思いついた事柄を書いているだけだから、「論」と言えるほどのものではありません。

けれど、「頭の中で考えただけで、実際には役に立たないんだよな」と思うことは本当に多い。「それができたら苦労しない」とか「それがなかなか難しいんだよね」とか「言うは易く行うは難し」とかいったコメントがそれにあたります。事あるごとに書いてしまいます。それが本音だから。

もしかして、先生も自分の言っていることは机上の空論だと思っていたのでしょうか。そのもどかしさを我ら未熟者共にぶつけていたのでしょうか。自分だってその未熟者の一人だと、心は叫んでいたのでしょうか。……いや、それはないだろうな。

未熟者が語る机上の論だって役に立つことはあるだろうし、すべてを経験することは不可能だし、机上でしか語り得ない事柄もあるし、そんな目くじら立てて言うことではないのでは? ちょいと狭量すぎないかい?

当時の自分の気持ちを言葉にするなら、こんな感じでしょうか。

その先生から学んだことは、

  • 人を敬おう(年下をバカにしない)
  • ペラッペラのこと言ってないか自戒せよ

そして、「机上の空論」という言葉の良さ。字面も、音も、イメージも。キジョー・ノ・クーロン。良きですね。

教壇に立つ人は、多くの人に影響を与え得る存在で、一方的に嫌われたり好かれたり、尊敬されたりバカにされたり、狭量だ顔も見たくないとか言われちゃったりして大変だなと思いました。

1 COMMENT

アジサシ

机上の空論という言葉は、相手を攻撃するのに便利というくらいのことなんじゃないでしょうか。
僕は、ナミさんが書くことにいつも共感しています。

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