先日、テレビで「舟を編む」が放映されていました。先に読んだ小説とあわせて、個人的な感想をちょっろっと書いておこうと思います。
辞書って、誰がどうやって作ってるんだろ?
私は辞書を読むのが好きです。
暇なときにパラパラめくったり、パッと開いたページの目についた言葉を「今日のラッキーワード」にしてみたり。
作中にもありますが、下ネタ系の言葉を引いて、真面目くさった解説を面白がったり。
このブログでも、ことあるごとに言葉の意味を引用しています。
しかしながら、この作品を読むまで、編集者の存在を意識することはありませんでした。
私が普段手元に置いている「新明解国語辞典」も、金田一京助先生の語釈だと何となくイメージする程度。
実際に、辞書巻末のあとがきを見てみると、どうやって言葉を選んだか、誰が何を担当したかということもちゃんと書いてあります。
最後の最後にはスペシャルサンクス的な部分もあって、ここには書いてないけれど、小説に登場したような大学生アルバイトやさまざまな分野の人々の協力があったんだな~と想像すると、非常に感慨深いものです。
確か三省堂の「大辞林」は完成まで28年かかったとか。
私がこの辞書を手にするまでにたくさんの物語があったんだと思うと、その重みはさらに増します。
しんどくなった私を励ましてくれる編集部の人々
この作品を思い出すたびに思うのは、まじめにコツコツ続けることの大切さ。
こうやって私が言葉にすると薄っぺらいものになってしまうのですが、10年20年かけて一つものを作り上げるというのは並大抵のことではありません。
それを体現するこの物語の登場人物たち。
ただただ、すごいなぁ~と感心するばかり。
そして思うのです。私はこのブログを10年続けることができるだろうかと。
もちろん、続けられたらいいなとは思っていますが、10年という月日を思うと気が遠くなりそうです。
でも、継続した者にしか見られない世界があるんだろうなぁと考えるとちょっと頑張ってみようかなとやる気が出ます。「継続は力なり」という言葉もありますしね。
理想ばかり追いかけて足元を見失ってはいけませんが、長いスパンで考えることは自分の軸をブレないものにするために必要だと痛感させられます。
1年先、10年先、100年先を考えてみると……
10年、20年先を考えてみるときに思うことがあります。
うつ症状がひどくて「死にたい」としか考えられなかったときのこと。
当時は、苦しみ・悲しみに打ちひしがれて1年先どころか1日先のことを考えるだけで苦痛でした。未来や希望なんかいらない、もうすべて終わらせたいと常に願っていて。
そんな私が「10年後」を考えられるようになった。自分でもビックリです。
何か事を成すよりも、「10年生きたとして」という前提を受け入れられるようになったことだけでもう十分すごいことだよな~としみじみ思います。
そういえば、将来について考えられなかったとき、こんなことをよく思いました。
「100年経ったら私はいない」
私だけではなく、私も周りの人たちもきっといない……。
そう考えると、「今こんなに必死に死のうとしなくていいのかな」とちょっとだけ気持ちが軽くなりました。
「今を大切に」と言われるとつらい。「1年経てば悩みもなくなる」と言われると泣きたくなる。さらに、5年、10年という時間は現実的で、生きている可能性が高い。毎日つらすぎて考えたくもないけれど。
でも、100年となるとちょっと現実離れしているような感があって、自分が抱えている苦悩を俯瞰的に見ることができる(ような気がしました)。
「時」というのは不思議なものですね。
今を生きるための辞書「大渡海」
小説、映画、どちらも好きなシーンがたくさんあって語りきれないのですが、また機会があったらじっくり作品を読み返して感想をまとめられたらなぁと思います。
映画も好きなキャストが勢揃いで、小道具も凝っていて、味わいのある良い雰囲気。好きな作品の一つとなりました。
辞書を手に取るたびに、励まされる今日この頃です。