「生きていてもいいですか」
そう問いたくなることはありますか?
孤独感に包まれて、自分には生きる価値などないように思える……。
私はそのつらさを経験することができません。
でも、その心に通じることができるのではないかと感じる瞬間があります。
そんな気持ちを起こさせる作品、それが、中島みゆきの7thアルバム「生きていてもいいですか」です。
この作品について何か書きたいと思っていたのですが、本当に素晴らしすぎて、「こりゃいい加減な感想書くわけにはいかないな」とずっと寝かしている状態になっておりました。気づけばもう半年以上過ぎておりまして、このままじゃいつまで経っても書けそうにないので、意を決して書きます。
アルバム収録曲を順番に追いながら、思いついたことを適当に喋っていくスタイルでいきます。
※長いです。
中島みゆき「生きていてもいいですか」
1. うらみ・ます
恨み節炸裂の一曲目。とにかくすごい。のっけから中島みゆきのすごさを思い知ります。
「うらみ・ます」のあいだの「・」は何なのでしょうね。一瞬、この曲の主人公が藁人形に五寸釘を打ち込む様子を表しているのかな?「うらみ」と「ます」の間に荒々しく穴が開いてるのかな? などと考えましたが、曲を聴いていると、どうもそういう感じとは違います。
一人の男に言葉を投げつけているようですが、本当のところはもっと大きなものに恨みを持っているんじゃないかと感じられます。甘えたい気持ちを抱きながらも諦めているところがあって、本当は心から恨んでいるわけでもないような、無力でやりきれなくてただただ寂しさが漂っているような……。
「うらみますうらみます」「あんたのことを死ぬまで」と言いながら女が本当に感じていたことは何なのだろう。
そんな何層にも重なった世界を感じさせながら、この作品はスタートします。
2. 泣きたい夜に
一曲目で心を激しく揺さぶられたところで、三拍子の優しい曲が続きます。
とにかく、ここで、圧倒的に肯定されます。
母のお腹の中にいた頃の記憶を思い出しているんじゃないかと思えるほどの安心感。
外界から守られて、包まれて、温もりを感じられる時間。
完全なる受容。
すべての罪びとを赦す歌。
タイトル通り、「泣きたい夜に」聴きたい一曲です。
3. キツネ狩りの歌
泣き疲れて眠りにつくと、不思議な夢が始まります。
唐突なファンファーレ、そして、疾走感のある軽やかなメロディ。
素敵な時間を歌っています。明るく爽やかに、ワクワクしながら、時に勇敢に。
そんな生の素晴らしさを感じながら、ふいに漂ってくる不穏な空気。
この光と影のコントラストが魅惑的で、吸い寄せられてしまいそう。そこに引き込まれたらもう戻れない。
……というような寓話的な想像がはかどります。
4. 蕎麦屋
今度は現実世界。蕎麦屋です。
「あたし」が肌で感じている空気や音や匂いまで感じ取れます。まるで邦画のワンシーンを見ているようです。
描写されるものは、どこか寂しくて、空しくて、ほのかに温かい。
現実の孤独感をふと思い出して虚空を見つめているときのような、どこか他人事のような、諦めてしまいそうな、でも何かを求めているような……。
「あたし」がただひたすらに「あたし」であること。それは一見寂しいことのように思えるけれど、多分そうじゃない。
それぞれの色や音や質感が、目に見えないものを浮かび上がらせています。
5. 船を出すのなら九月
日常の素朴な風景に埋没していきそうなところで、強い決意の歌が始まります。
この決意は、おそらくハッピーな決意ではありません。
でも、絶望だけでもない。むしろ希望を持っているからこそ、人は次に進めるのでしょう。
あなたは、私は、どこへ行くのでしょうか。
行く先には何があるのでしょうか。
目の前には海があり、空があり、星がある。
ここで「私」が手放すものは何なのか。
旅立ちの歌です。
6.
歌詞のないインストゥルメンタルです。
私にとって、このトラックは絶対に外せない要素です。
はじめて聴いたときは、海中の浮遊感のようだと思いました。でも、そんな簡単な解釈で終わらせるのはもったいない。
この感覚は、小説を読んでいるときにも体験することがあります。きっと、知っている人にとっては、なじみのある感覚なのではないかと思います。
クレジットには「編曲 後藤次利」とあります。すごい人の後ろには、これまたすごい人がいました。
7. エレーン
エレーンという女について歌っている曲です。
一人一人に自分だけの物語があり、その人生の内容はさまざまで、色とりどりで、でも、それはあくまでもこちらから見た風景に過ぎなくて、本人が生きた世界、本人が感じていた気持ちを知ることは決してできません。
でも、こちらから見える世界にだって、きっと真実は滲んでいるはず。
「私」は、ある女の淋しさを想います。
みんな本当は知っている。
人が理想を口にすることも、それが心と裏腹なのも、後ろめたさを抱えていることも、自分は悪人ではないと信じて疑わないことも。
この曲を聴くと、アルバムの一曲目からここまで受け取ってきた言葉たちが次々と蘇ってきます。
自分の目に映るあの人のことを語ることなどできないけれど、それでも、無関心ではいられない。
その気持ちに気づいたとき、私はあなたであり得たということを思い出します。
8. 異 国
寂しさだとか、悲しさだとか、孤独だとか、言葉にするのは簡単ですが、本当にその心を知ることなんてできないんだと無力感に襲われます。
「異国」は「エレーン」と対になっていると言われます。「エレーン」で描かれた女が、一人称で心情を吐露するのが「異国」。
エレーンは実在した人物で、彼女にまつわる事件をモチーフにした曲が「エレーン」だと聞いたことがあります。その女性と中島みゆきは顔見知りだったのだとか。このあたりのエピソードはライブでも語られ、書籍にも書かれているそうです。
事実は圧倒的なエネルギーを持つものですが、中島みゆきがエレーンという人物を通して伝えるのは、多くのことに共通するからこそ、真に迫るのだと思います。
エレーンとその人生、そして、体を失ったあとの「あたし」。
私は「エレーン」や「異国」を聞くと、悲しみに包まれながらも、心が落ち着きます。
それはきっと、他者の苦しみをほんのわずかでも共有することで、赦しを得ているからではないかと思います。
他人の苦しみも知らず、のうのうと暮らしている自分。そのことに罪悪感があって、罪の意識に目を向けると心がヒリヒリします。
さらに、こうして言葉にした瞬間に、その後ろめたささえも欺瞞に感じられて、自分がしょうもない人間に思えます。本当に存在する価値などあるのかという疑いは拭えないままです。
でも、これらの罪悪感が、「エレーン」や「異国」を聴いているときには、ほんの少しだけ和らぎます。
痛みそのものを知ることはできなくても、そこに近づこうとしているその事実だけは、嘘じゃない。
このことが、私にとっては慰めです。
そして、結局また自分のことばかりなのだとガッカリして、でも、誰も他者のためだけに生きることはできないのだと思い直します。自分が自分である以上、それは仕方ない。
……と、こんなにも深層に潜り込ませてしまう「エレーン」や「異国」は本当に凄いと思います。
余談ですが、歌詞カードをよく見てみると、「異国」のタイトルには、スペースがあります。「異国」ではなく「異 国」です。これは中島みゆき本人が意図したものなのでしょうか。「うらみます」に「・」があることを思えば、ただバランスを取るためだけにスペースを入れたわけではないと考えたくなります。
「異国」
と
「異 国」
実際のところはどうであれ、この隙間の意味を考えずにはいられません。
(編集した人が適当にスペース入れただけとかだったらショックだな……でも、どうもそれっぽい感じがしますよね……)
理性に支えられる感情的な表現
このアルバムは、初めて聴いたときの感想と2回目以降の感想はまったく別物になります。
特に「うらみ・ます」の印象はガラリと変わりました。
「うらみ・ます」を初めて聴いたときには、ただの個人的な恨み節だと思いました。嗚咽混じりの歌声や慟哭の表現がすごいなーと。
でも、「エレーン」や「異国」を聴いたあとには、伝わるものが違います。7曲を収録したアルバム「生きていてもいいですか」が一つの物語のように感じられるのです。
そして、その物語は永遠に続く……。
中島みゆきがこの作品にのせたメッセージは、個人的なものだったかもしれません。
けれど、それは、さまざまなものに当てはまるような形で表現されています。
だからこそ、聴く人の心を震わせるし、自身の深層にアクセスするきっかけを与えてくれるのだと思います。表現されたものは、リンクのように、自分の内にある物語と世界をつなぐ存在であるのかもしれません。
この作業は理性的でなければできません。本能や感情に支配されれば、独りよがりになってしまいます。
人間の内面にある感情や感覚を客観化し、言葉やメロディで表すこと。
そんな困難な仕事をやってのけちゃう中島みゆきは、やっぱりすごい。
最後に
「こういう人のことを天才って言うんだな」
中島みゆき作品を聴いた後で必ず口にしてしまう感想です。
その才能に圧倒されすぎて「中島みゆき様」と敬称をつけずにはいられないのですが、ここでは我慢して、敬称略としました。彼女のおしゃべりを聞いていると「様」って感じじゃないですしね。
まあとにもかくにも「すごい」の一言です。「憑依系俳優」なんて言葉がありますが、中島みゆき様にも共通する部分があるような気がします。変幻自在な声色は、本当に魅惑的です。女優と言ってもいいかもしれないですね。
素人の感想なので、どうしても歌詞によった内容になってしまうのですが、歌声や楽器の音色も素晴らしいです。言葉だけでは表現できないものを感じさせてくれます。
こういう作品に出会えると、「生きるのやめなくてよかったな」と思えます。
今日の記事タイトルは、村上春樹の『風の歌を聴け』の形を拝借しました。特に深い理由もなく、適当な思いつきだったのですが、「風」が「中島みゆき」に置き換わってるところは、なかなか良いではないですかと思っています。
追い風となって背中を押してくれたり、頬をなでるような優しい風であったり、強く吹きすさぶ風となり現実の厳しさを教えてくれたり、周りの風景を描くことで生の尊さを感じさせてくれたり……。
美しい風の歌を聴きながら生きていけたら、私はしあわせです。
<本日の作品>
中島みゆき「生きていてもいいですか」1980年
歌姫の実はヒーローである人に告ぐ俳優であり女優の詩歌。