突然死んだ人たちのこと

身近な人が立て続けに亡くなりました。

最初の知らせを受けてから、毎日ぼんやりしています。ずっとフワフワしている感じ。やらなければいけないことが手につきません。

考えるのは、彼・彼女のふるまいや表情や言葉。ささいな仕草が次々と思い出されます。遺された物を見るたび心がざわつきます。

病死にはある程度の予感がありますが、突然の死はなかなか受け入れられませんね。悲しい気持ちと困惑ばかりで、ほんとにもうどうしたらいいのか。

自分がどれだけ故人に影響を受けていたのか思い知るばかりです。言葉・思いが次々あふれてきます。

 

人が死ぬと「人は死ぬなぁ」と思います。

ここ数日は油断すると「人は死ぬ」という確認作業ばかりしてしまう状態です。

「人は死ぬ」って、そんなことはよーくわかっているはずなのに、こんなに心が不安定になっている。何だかずっとオロオロしてます。

好きな人が死んだ。

それでも人生は続いていきます。

今日も生きる。生き延びる。

それだけです。それくらいしか言えることがない。

 

新たな情報が更新されることはありません。もう彼から彼女からメッセージが届くことはない。故人の個人データを消すこともできない。

彼は彼女はいなくなった。

私は生きている。

とりあえず、今日を生きる。

やっぱり言えるのはこれだけです。

なんか頭がバグったみたい。うまく思考できなくなっちゃって。って、うまく思考できないのはいつものことかー、あははー。

 

別れのつらさ・大切な人を失う悲しみに耐えられなくなったとき思い出したいこと」でも書きましたが、自分の一部が失われるのはつらいものです。

「失って初めて気づく」なんて陳腐なセリフにも思えますが、本当にその通り。

いなくなって初めて気づきました。

「あぁ、あの人はこんなにたくさんの影響を私に与えていたんだな」
「あの人のあの言葉が大きな支えになっていたんだな」
「記憶の引き出しがあるとしたら、あの人のふるまいは私の記憶箪笥の1/3くらいを占めていたんじゃないか」

いや、1/3ってのは多分言い過ぎだけど。何にしても、それぐらいの痛みを伴っているように感じています。

自分が好きだった人が死んでしまうのは悲しいですね。まして、死にたがっていた人ではなく、これから明るい未来が待っていたであろう人。やりきれません。

 

ふとしたときに「あぁ、もういないんだ……」と気づく。

心がぎゅっとなったり、心がスースーしたり。必死に感じないようにしても、気づけば「うぅぅぅ……」と悲しい気持ちでいっぱい。

それでも私は生きていく。自ら死なない運用で人生をやっていくことに決めたので、自分なりに精一杯生きていく。「死にてぇな」とぼやきながらも生きていく。

死とは何か、生きるとは何か、不思議の対象に思いを馳せながら生きていく。

ウンザリすることばかりだけど、生きていく。

素敵なこともたまにはあるから、生きていく。

何だかもうよくわからないですね。いつにもまして言葉がとっ散らかってしまいます。

今日は風が強いです。

潮騒みたいな力強い風の音。

ってポエムじゃん。はい、こういうときこそポエムを書くといいんでしょうね。気持ちを言葉にすることで、自分の内に渦巻くものをうまく扱えるようになるのかなと思います。
 

さてさて、とりあえず今日も人の姿で存在することを頑張ってやっていきましょうかね。

2 COMMENTS

あたま

更新ありがとうございます。
ナミさんのお気持ちお察しします。
世の中のすべて人は、そういうことをのりこえて日々暮らしているんだよね。
それってすごいことだと思います。

自分もそうでしたから。

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にゃんころポン酢

いつもブログに力をもらっています。なのにナミさんがつらいときに恩返しできずすみません。こんなときはきもちが複雑ですよね。無理せずに自然に触れたり美味しいものを食べたり、読書をしたり、動物にふれたり映画をみたりしてくださいね。

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