苦しまずにすむ方法を選ぶことは、サボることではありません。ムダな労力を排し、効率を追求して物事を進めれば、より良い結果を得られるでしょう。
これは、「迷ったときはより困難な道を進め」という信念で今までやってきたけど、力及ばず潰れちゃったよ、困難の中身をもっと調べるべきだった、という人にも必要なことです(私です)。
無理を押してやってもうまくいかないことが多いし、痛みを我慢して悪化させることもあるから、そういうときはラクなやり方を選びなね、そんなメッセージにも通じます。
というのはすべて後づけで、腰が痛いという話をします。
腰が痛い
腰をやってしまいました。ぎっくり腰ではないと思うのですが(心当たりがない、魔女の一撃はなかったぞ?)、どうも似たような感じの痛みっぽいような。
立ちあがろうと思っても立ちあがれない、途中で止まってしまいます。うぐぐぐぐぐと呻くのみ。いったん落ち着いた姿勢、痛みを感じない姿勢から体勢を変えるのが容易ではなくなりました。
歩き方もおかしい。少し腰を落とし、一歩ずつ、ゆっくり、ゆっくり、足を動かす。つたい歩きを覚えた赤ちゃんのようです。あるいはうんこ漏らした人のよう。なんだか滑稽。思わず笑う。
夜もダメ。横になっても寝返りをうてない。「いててててて……」と声が出ます。真夜中に目が覚めます。「あたたたたた……」とか言いながら。
寝起きこれまた最悪です。冬だから体も冷えて、まだかたい。枝を転がそうとしているんじゃないかと錯覚するようなバキバキ感があります。かがむのがキツいから洗顔も困難です。あたたまってくると、痛みもちょっと和らいでくるのですが。
それにしてもこれはなかなか。ちょっと背筋を伸ばしただけでも痛みがはしります。
「ぬおぉぉうっ」
いや~、長らく続いた不調から回復の兆しがちらと見えて、よし、仕切り直しだなと思っていたところだったのですけどねぇ。
立ちあがるだけでバカみたいに時間がかかるので、1時間前集合(の10分前集合)とかいう部活動を思い出すような行動形式になっています。1時間早く行動し始めても、1時間前集合にはならないんですけれど。
体に悪いところがあるからメンタルに影響するのか、精神的に悪いから体に影響しているのか、どちらかわからないですけど、というか、どちらもありそうな気がしますけれども、何にしても痛くない、苦しくないって素晴らしいことです。早く無罪放免になりた~い。ふぁ~~~
昔、康一(こういち)君というクラスメイトがいて、その名の由来は健康第一だと聞きました。親御さんの気持ちよくわかります。素晴らしいお名前。ほんとに健康が第一です。心身ともにすこやかで、元気であってほしい(そういえばなんで健一じゃなくて康一だったんだろう)。
子供の頃、いや、ちょっと前まで「年配者はあそこが痛い、ここが悪いという話ばかりしているなぁ、他に話すことないのかな」と他人事として観測しておりましたが、自分事となりますと、なぜそれが主題となってしまうのかよくわかりました。痛みや不都合の多さで頭がいっぱいになってしまうのですね。わかりました。メンタルの不調や持続的な鈍痛に比べて、訴えやすいというところもあると思います。思わず「ウ゛ぅッ…」と声が漏れてしまうところが分かれ目ですかね。違うかな。
そんなこんなで、痛くない体勢を探る日々を送っているわけですが、これって何においても言えることかもなぁと思いました。それはどういうことか。どんなときも何がベストか探る努力をする、それが人生大事だネ! ということです。痛みなく過ごせる体勢、無理なくできる動き方、そういうものを探って、自分の力をうまく発動できるよう工夫していきましょうという、なんかそういうあれ。
まぁ不都合はありますが、腰が悪い状態だと、何ができないかはっきりわかるので(どうやっても体を動かせないから)、その点に関しては「できません」と主張しやすくていいですね(よくはない、痛いから)。
【追記】
1週間ほどで痛みは治まりました。ぎっくり腰だったのですかねぇ、よくわかりませんけれど。なんにしても、よかったよかった。難なく立ちあがったり、かがんだり、歩いたりできるのはありがたいことです。ほんとにほんとに。ありがてぇ、ありがてぇ。
ナミさんまだまだそんな歳では、ないでしょ。(スマイル)
康一くんには健一という名前のお兄ちゃんがいたのかも。
わたしも最近右足首が痛くてまともに歩けません。
なんだか久々に落ち込む波がきてぐーんとなってますが、
ぼちぼちと、波が引くのを見守ります。