私が『ここまできてそれなりにわかったこと』を50個挙げてみた

五味太郎さんの『ここまできてそれなりにわかったこと』を読みました。


短い文章とイラストが150ページ。パラパラ~っと読めます。

帯には、「わからされたこと」「わかるしかなかったこと」「わかったつもりになったこと」etc. とあります。

素直じゃない、ひねくれた感じの言葉たちが良いです。痛快な分、断言しすぎかなと感じたり、ちょっと時代錯誤に思える点もあったのですが、まぁ、2001年の本、15年も前ですからね。あたしゃその頃まだ中学生ですよ。そう考えるとまた味わいが増しますね。「当時の私がこれを読んだら何て思ったかな?」とか考えたりして。

さて、「これいいな」と思った言葉がいくつかあったので、その中から2つご紹介します。

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その型の電池はとっくに生産中止になってしまった後の専用充電器だとか、本体は故障破棄された掃除機の差し替えブラシだとか、全焼した家屋のドアのスペア・キーだとか、この物質文明社会にはほんとうに悲しい物の存在というものがあるのだ、ということ。

これほんとそうですよね。切ない。役割を失い、ポツンと取り残されたものの哀愁。私も廃車になった車のスペアキーのことを思うと、目の前にセピア色の風景が広がって「ずっと一緒って言ったのに……ごめんよ」みたいな気分になります。

そして、もう一つ。

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「がんばれ!」という言葉は、いちおう気にはしているけれど、とりあえずそれはお前の問題であって、自分には直接関係ないことなのよ、というところをはっきりさせておくためのアピールである、ということ。だから「がんばれ!」と言われて奮い立つ必要はないのよ、ということ。

大切な人がとてもつらそうにしていて、でも何とか励ましたくて、相手の心が少しでもラクになりそう言葉を探すのだけれど、結局何と言ったらいいかわからなくて、最終的に口にした言葉が「がんばれ!」だった、というパターンを最初に思い浮かべたのですが、ここで言っているのはそういうケースじゃないですね。でも、構造としては似ていますよね。

「がんばれ!」という言葉は記号のようなものなのだけれど、その表面的なものに惑わされた結果、相手の本当の気持ちを見失っていろいろこじれちゃうことはよくありますよね、と。

全体を通してこんな感じで進んでいくのですが、150個目、最後に五味さんはこう言います。

勝手なこと言って勝手に絵を描いてるのは、やっぱり楽しいなぁ、ということ。

この言葉を受けて、私も自分でやってみたくなったので、今からやってみることにします。

私が『ここまできてそれなりにわかったこと』。

150はちょっと大変そうなので50にしときます。1/3もできたら十分でしょうということで。

イラストがないので、読むのがけっこう大変だと思いますが「がんばれ!」(←!)。最後に感想もちょろっと書いたので、いちおうあとがきのジャンプリンク貼っておきますね。
 

私の『ここまできてそれなりにわかったこと』50個

歩く女性に続く数字

 

1. 私がわかっていることなんてたかが知れている、「わかった」と思っているだけで本当はわかっていないことが多い、ということ。

 

2. 「努力は必ず報われる」と言うけれど、定義によるし、そもそも言葉が足らな過ぎる、ということ。

 

3. どんな悪人でもよい心を持っているし、どんな善人でも悪い心を持っている、ということ。

 

4. 敗者がいなければ勝者はいない、ということ。

 

5. この世にないものはない、存在していないものを表現することは困難だ、ということ。

 

6. 正常と異常の境目をバシッと線引きすることはできない、ということ。

 

7. 人はみな美しいものが好きだ、ということ。何を美しいと感じるかは人それぞれだ、ということ。

 

8. 人の痛みをその人が感じている通りに感じることはできないけれど、相手の気持ちを想像して寄り添うことはできる、ということ。お互いの共通点を探って共有することでポカポカした気持ちが生まれる、ということ。

 

9. 愛はパワーの源だ、ということ。

 

10. だから、恋人がほしいし、誰からも相手にしてもらえないと、悲しくて寂しくて泣いちゃう、ということ。

 

11. 今自分が何を持っているか、どんな経験をしたかによってマウンティングされるとつらいけれど、それは生存競争的な意味合いで考えれば自然なことだ、ということ。

 

12. 家族だって他人である、ということ。

 

13. 「死にたい」という思いを持つことは悪いことじゃないし、その苦しみを吐き出すことで気持ちが軽くなることもある、ということ。ただ、「死にたい」という言葉に慣れていない人もいるから、伝える相手を見極めなければいけないし、できれば違う形で表現した方が誤解が少ない、ということ。

 

14. 物語から学ぶことは多い、ということ。

 

15. 法律は絶対ではない、「みんなが気持ちよく過ごせるように、とりあえずここら辺で線引きしておこうね」というルールにすぎない、ということ。

 

16. 人の自由を侵害したり、傷つけたりするのはよくない、ということ。その「人」には自分も含まれる、ということ。

 

17. すべての人が100%満足できる社会をつくることはできないので、ある程度のところで妥協策を見い出さないといけない、ということ。

 

18. 「おいしい」と感じられることは当たり前のことではなく、とても幸せなことだ、ということ。

 

19. 原因探しをして自分を責めるより、「これからどうしたらいいか?」を考える方がうまくいくことが多い、ということ。

 

20. 頭の中をからっぽにすることはできない、考えるのをやめようと思っても「考えるのをやめよう」という考えが残る、ということ。

 

21. 疲れたときは寝るのが一番、ということ。

 

22. うまくいかないときは疲れていることが多い、ということ。

 

23. 他人と比べても仕方ないとわかっていても、他人の言動が視界に入ってくる以上、比べてしまうのも無理はない、ということ。

 

24. 嫌われないように行動した結果、嫌われることもある、ということ。

 

25. 「なぜ生きるのか」と「なぜ人を好きになるのか」はどこか似ている、ということ。

 

26. 誰にでも得意不得意があるので、うまくできないことがあってもそれほど落ち込まなくて大丈夫、ということ。

 

27. 世の中にはいろんな人がいるのだから、自分の価値観からは到底理解できない人がいても当然だ、ということ。

 

28. 世の中に絶望することがあっても、「優しい人もいる」ということを忘れてはいけない、ということ。

 

29. すべてはつながっている、ということ。

 

30. 物事には大抵例外があるから、主語を大きくして語ると取りこぼしてしまうものがある、ということ。だからと言って、取りこぼしを気にしすぎると、説明が膨大になるか、何も言えなくなってしまう、ということ。

 

31. 言葉は万能ではない、ということ。

 

32. しかしながら、言葉の力は偉大で、人を救う力がある、ということ。

 

33. 子供は「何となく」虫をひねり潰すことがある、ということ。

 

34. 身体に何らかの異常が生じて、痛みや不快感が続くと本当につらい、ということ。

 

35. 階段をのぼるとき、一気に100段のぼることはできない、ということ。

 

36. 散歩はよい気分転換になる、ということ。

 

37. 何だかんだ言っても褒められると嬉しい、ということ。

 

38. お金ですべてが買えるわけじゃないけれど、お金で解決できる問題はとても多い、ということ。「愛があればお金なんていらない!」と言い切れる人は幸せな人だ、ということ。

 

39. 日本語が通じない外国の人と話すと「通じ合えるってすごいな」ということがよくわかるし、このときの「伝えたい!」「理解したい!」という純粋な気持ちを忘れてはいけない、ということ。

 

40. 特に努力しなくても気が合う人とはすぐに意気投合するし、どんなに努力しても苦手な人のことはなかなか好きになれない、ということ。

 

41. 化学繊維の布より、植物や動物の繊維から作られた布の方が手や体になじむ、ということ。綿ポリはそれぞれの長所を兼ね備えていてなかなか良い、ということ。

 

42. 具体的な話の方がわかりやすい、ということ。

 

43. ぼんやりすることは大事、ぼんやりした方がいいアイデアが浮かぶこともある、ということ。

 

44. 土いじりをすることで得られるものは多い、ということ。「地球とお友達」という意識を持つと何となく楽しい気分になる、ということ。

 

45. 集中力が切れたときは、ダラダラ続けないで、さっさと休むなり別の作業に切り替えるなりした方がいい、ということ。

 

46. 「ここまできてそれなりにわかったこと」を50個挙げるのはけっこう大変、ということ。それを150個も挙げるなんて、すごく時間かかるだろうな、ということ。でも、自分の考えを再確認できるし、思考も整理されるから、一度試してみる価値はある、ということ。

 

47. どんなことにも個人差があるということを忘れてはいけないけれど、商品広告で効果を大げさにアピールしつつ「※感じ方には個人差があります」と小さく書くのはちょっとずるい感じがする、ということ。でも、文句を言うことを目的に文句を言ってくる人もいるから、多少の弁解は必要だ、ということ。

 

48. 食べるために生きるのではなくて、生きるために食べるのだ、ということ。でも、「死ぬのはデザートを食べてからにしよう、大好きなシュークリームを食べるために生きよう」と考えることで苦しみをやり過ごせることもある、ということ。

 

49. 賢明な人はぎゃーぎゃー騒がない、ということ。

 

50. 笑うことは体にいいから無理にでも笑うといいなどと言うけれど、笑えないときに無理やり笑って虚しくなることもあるので、自然体でいることが一番、ということ。

 

あとがき

50個わーっと書いてみて、五味さんの150個目の言葉がよくわかりました。

人が作ったものを受け取るより、自分で実際にやってみるのが楽しいよね、「好き勝手に」と言い訳して自由にさ、と。

内容より手を動かしてみることが大事ですね。

『ここまできてそれなりにわかったこと』のリスト化、興味のある人はぜひお試しあれ。

なかなか面白いです。ちょっと疲れますけど、ジョギングの後のような快い疲れを得られます。

最後にこんなこと言うのもあれですけど、「わかる」って一体どういうことなのか考え出すと、これまたわかったようなわからないような、何だかよくわかんないですね。
 

<本日の一冊>

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