療養を始めてから体調が落ち着くまで、テレビを一切見ない時期がありました。
にぎやかな音と、鮮やかな画面に耐えられないんですよね。特にバラエティー番組の笑い声はキツい。自分のことを嘲笑ってるんじゃないかという被害妄想や、世間の人たちとの断絶を感じて、どうしようもなく落ち込む……。
この拒絶反応は、私だけじゃないみたいですね。
抑うつ気分、興味・喜びの喪失、集中力の低下などのうつ症状として説明できるのでしょうか。
自分のことをふり返ってみると、感情や聴覚がめちゃくちゃ過敏でした。全体はだら~ぼや~っとしているのに一部分だけ尖がっていて。そこにテレビの電波がビビビーっと刺さってくるイメージ。
そりゃテレビ見れなくなりますよね。混乱して当然だ。
でも、この感覚って正しいんじゃないかと思います。内容にもよりますが、テレビが伝える情報は刺激物が多いですよね。しかも最近は、回転が早いですし。どんどん新しい番組やCMが放送されます。
飽きられないための創意工夫はすばらしいことなんですが、鮮やかすぎるスタジオや、わざとらしいほどのハイテンションな演出は、弱った心を圧倒します。
キラキラ攻撃から身を守らねば。
テレビを楽しむためにはストレス耐性と防具が必要。うつを経験して私は知るのでした。
電波からの解放 自然の恵みを
テレビを見られなくなったり、本や新聞を読めなくなったりするのは、先ほど挙げたうつ症状以外にも原因があるんじゃないかと思います。
それは、悩みまくりという点です。
頭の中をモヤモヤが占拠しているから、外部の情報を受け取れない。
同じことをぐるぐる考え続けてしまうことも、うつ病患者さんに見られる傾向だと言いますから、これもうつ症状によるものと考えられますかね。
あるいは、生きる気力もなくなってしまって、「死にたい死ねない死にたい死ねない」しか考えられなくなっているとか。
何にしても、つらい。
悩みだらけで不安になっている人も、心がからっぽになってしまった人も、そのつらさの解消を望んでいるはず。
だから、まずは心を落ち着かせてあげましょう。安心させてあげましょう。
さぁ、どうやって?
私が考える最上の答えは、自然にふれることです。
人工物は疲れます。人間は人工物ではありません。
悩みは解決しなくても、自分が自然の一部だと思い出せば安心感が生まれると思うんですよね。少なくとも私はそうです。
「地球の大きさからしたら私の悩みなんてちっぽけなもの」という話ではありません。自分の悩みはある意味宇宙より大きいんじゃないかと思えることってありませんか? ということは、それは宇宙より大きいものなんだと思います。大変なことです。
でも、空や木々を眺めていると、その悩みとは別の世界に行けるような気がします。こうやって書くと胡散臭い感じになりそうなんですけど、そういうことじゃなくて、単純に、自然に身を置くと心安らぐねって。
うつ病は自然を欲するサイン。
心身が「もうお腹いっぱいだよ~、添加物よりリンゴをおくれ~」と訴えているんだなと受け取れば、罪悪感を感じることなくのんびりリラックスできそうです。
自然の恵みはおいしいデザート。
私にとってのクリーム類。
お察しかとは思いますが、適当に言ってます。
テレビに関わる人たちの面白さが鬱を生む?
「テレビを見るとバカになる」
ここ数日で何度か見聞きしました。
確かに、何も考えずに長時間テレビを見ていても賢くはなれないでしょうね。
でも、面白いと思う番組やCMもあります。制作者の熱意が伝わるようなものは「すごいな~」と感心して見てしまいます。ただの勘違いかもしれませんけど。
というのも、テレビ番組を作っている人たちは、私のような人間から「へぇ~すごーい、おもしろーい」を引き出すことに注力しているわけで、そこに信念があるかどうかはわかりません。
だからといって、視聴者を食い物にしているなんてことは思わないんですが、アホみたいに口をパクパク開けてエサをせがんでいるだけじゃ最終的にメディアに食われるな、という警戒心は常に持っています。しょっちゅう紛失しますけどね。
あと、テレビを見ていてゲンナリするのは、自分の役割を演じなきゃいけない雰囲気。それがTVショーなんですけど、存在しているのかわからない世間の声を想定してそこに合わせている感じがちょっと。そうやって「普通」を刷り込まれていくのかな~と考えると気持ちが萎えます。
最近はキャラ設定が前提になっているようで、大変そうです。アイドルもそれが必須なんでしょうか。女芸人さんの「モテなくて男を欲している必死さ」なども。彼女たちが己の身を挺してくり出すリアクションに笑わせてもらいながらも、その裏に隠れている本音は何なのか考えると芸能界で生きていくことの厳しさを感じさせられます。
そして、そのノリが現実社会にも持ち込まれているのかと思うと空恐ろしくなるのです。スクールカーストにも影響してそうですし。そりゃ鬱にもなりますわ。って、考えすぎ?
最近はテレビ離れが進んでいると言いますし、テレビを熱心に見ている人を嘲笑する傾向もあるようです。どんなメディアであれ、情報に踊らされるのではなく、自分の考えを豊かにするための肥料としてうまく利用していきたいものです。
そんなわけで、めちゃくちゃ脱線しましたが、うつ病でテレビを見られなくなるのは自然なことだし、その感覚を大切にしていけたら、もっとみんな優しくなれるんじゃないかな~という世界平和を望むお話でした。
テレビを観ていて、とてもイライラします。
「こんなの、わざとらしい」とか
「悪口言い合うの何がいいの」
「馬鹿じゃないの…」
と口に出さずとも常にイラついています。
その度に自分を責めます。
なんで素直に観れないのか、
ほんとに寂しい奴だな、しんでしまえ、と…
たまに「こんなのわざとらしい」と
父の前で言ったりすると
「お前ほんと皮肉れてるな」
と言われます。
皮肉れ…まるで自分が腐ってるような言い方に聞こえ、でも実際に皮肉れているから
自分がどんどん腐敗していくようなイメージがして毎日毎日悲しくて仕方ありませんでした。
でも今日、この記事を読んで、
病気だからそう思う、感じるんだ、
私だけではなかったんだと涙が出ました。
父しかわたしには居ませんが、理解はしてくれないでしょう。
私が健康な人の感性が分からないのと同じで…
みくさん、コメントありがとうございます。
みくさんの感覚は間違っていないと思いますよ。テレビ番組(特にバラエティー要素が強いもの)は、いかにわざとらしく表現できるかが求められています。下世話な話題も多いですしね。テレビはバカをターゲットにしている、なんて言葉を聞いたこともあります。つまり、テレビを楽しむためにはバカになるべし、ってことですね。素直になればなるほど、テレビの作り物感が目につきます。そういうときは、電源OFF。あるいは賢くて愛すべきバカになりたいものです。
お父様に今の心情や日々のつらさを理解してもらえないのは寂しいですね。「ひねくれてる」という言葉には否定的なニュアンスが含まれているので、みくさんが悲しくなってしまうお気持ちもわかります。
でも、私はひねくれたり腐ったりすることが必ずしも悪いことだとは思いません。盆栽はぐにゃぐにゃと曲がった枝ぶりが味わいを増しますし、納豆やヨーグルトなども発酵するからおいしいわけで。
病気だろうが病気じゃなかろうが、今自分が感じていることを大切にしていけたらいいなと思っています。そうやって自分の素直な気持ちを肯定することが満足感につながっていくんでしょうね。
もうかれこれ、8年近くウツに振り回されています。調子がいいと思ったのに、起きれなくなっていたり。バイトも行けなかったり。
そんな繰り返しに最近また落ち込んできました…
テレビ、見たくないです。テレビを観れることがバロメーターになりますよね。共感しました!
素敵なブログ、ありがとうございます。
りささん、コメントありがとうございます。
8年もの長い間、つらい思いをされてきたんですね……。気分の波はコントロールが難しくて、アップダウンの激しい毎日には疲れてしまいます。
そうそう、自分の状態を把握するためのバロメーターがあるといいですよね。風を読み、波に乗るための予兆を感知。流されず、穏やかに過ごすスキルを身につけたいものです。