天賦の才に憧れる凡庸な人間が味わう、ゆずの「飛べない鳥」

空を見上げる人

とんでもない才能に出会うと、圧倒されて、自分のしょうもなさにガッカリする。

そんなことをくり返してばかりの私ですが、最近ちょっと変化があらわれてきました。

いまだにすごい才能に出会うと「うわーーー」と圧倒されて放心することに変わりはないのですが、最近はそういう状態に至ったとき、頭の中でゆずの「飛べない鳥」が流れます。

きっと見上げた空は青く
ほらごらんよ僕らなんてちっぽけなもんさ

「きっとぉぉ~~~」から始まって「ちっぽけなも~んさぁあぁあぁあ~」で放心に一区切り。

そんな感じで、果てしなく続く空を見上げる心持ちになります。圧倒されたときの空は必ず晴天で青い。真っ青のときもあれば、うすい水色のときもあります。どのような色合いであれ、雲のない美しい空を見上げることになる私。「はぁぁぁぁぁぁ~」っつって。

以前は、「僕らなんてちっぽけなもんさ」? こんなちっぽけで役立たずの私はしょうもない、無意味、価値がない、ダメ、くず、などとひどい言葉を重ねて、必要以上に自分を貶めていました。でも、それは自分に期待していたからこそで、自分の可能性を信じることは悪いことではありません。

ただ、それでやる気を失って、何もできなくなってしまったら、ますます何も生み出せなくなって、「ほや、やっぱりダメじゃんね」とダメを証明するだけになってしまいます。そうやって自分を貶めることは何の役にも立ちません。

とは言っても、そういう思考回路が癖になっていたものですから、簡単にやめることはできなくて、長らくの間そうやって自分を飽きもせず貶めて罵倒していました。

最近はやっと諦めもついて、自分のダメさを受け入れられるようになってきました。そういう変化もあって、果てしない空を素直な気持ちで眺められるようになったのかしらと思われます。

「天賦の才に憧れる凡庸な人間はなれるわけがないスーパーマンになろうとする。つまり、馬鹿」

ある日のメモにこんな言葉が書きつけてありました。私の日記やらメモ帳にはこういったメモ書きが散見されます。天才を見つけてはため息をついている自分の愚かさにウンザリしていたんですね。己の凡庸さを認めよ、と自分に言い聞かせてはモニャモニャするのくり返し。まぁ、それはそれで微笑ましいものなんですけれど。

で、以前に比べれば自分のダメさにガッカリすることが少なくなった今、すばらしい仕事や作品に出会うと、包まれたような気持ちになります。それはさっき言った「果てしない空」と表現できるのですが、ただ突っ立って空を眺めている状態とはちょっと違うんですね。果てしなさに身を委ねたいというか、一体化するというか。

天才は天性の才能を持つ人です。そういう人は、才能ゆえに天に通じることができると考えましょう。その才能によって生み出されたものに触れることで、私は天に通じる道か何かにちょっとだけ近づけるような気がします。天才は凡人にも天からのお恵みを分け与えてくれるんじゃないか的な。天才が見たものを私も感じられる可能性を見出せる、天と地の架け橋になってくれると言ってもいいかもしれません。

こういう言葉を使うと、アレ系だとか言われたりするんでしょうけど(おそらく宗教っぽいという意味だと思われます)、そういうことじゃなくて、簡単に言えば空を眺めるのとほぼ同義だなと気づいたわけです。

「空を飛べたらいいのにな」と夢見た子供は今、「飛べない人間(当たり前)」とつぶやき、空を見上げて「あぁ、果てしないなぁ」と感嘆のため息をついている。自分のちっぽけさに落ち込むこともあるけれど、私この街が好きですとか言って。そう、「魔女の宅急便」では魔女のキキが空を飛ぶ。トンボは空に憧れる。確か絵描きのウルスラは才能を「血」という言葉で表現していた記憶ですが、なるほどって感じですよね。

「飛べない鳥」に話を戻すと、サビの後半は「君からもらった優しさの言葉を持ってまた歩き出す」と続きます。飛べない人間(当たり前)は、自分の足で一歩ずつ歩くのみ。だって、飛べないのだから。ダチョウ、エミュー、ペンギンのようにドタドタペタペタ歩くのです。ただ、それらの生物と違うのは、誰かからもらった優しさの言葉を抱えていけること。

私にとっての「君」って誰かな?
どんな優しさの言葉かな?

それを考える頃には穏やかさが戻りつつあります。果てしない空を眺め終わり、顔をまっすぐに向け、歩くなり走るなりしゃがむなり寝ころぶなり、地に足をつけた選択をします。

ここにあるのは風そして君と町の音それだけでよかったのに

「飛べない鳥」では、このフレーズから物語が始まります。私にとっては、このフレーズこそが答えです。ここにあるのは風(そして君)と町の音それだけで良い。すばらしい。

今こんなイメージを思いつきました。

馬力のしょぼい原付に乗って、鼻歌を歌いながらバロロロロロ…と軽快に走っていた私。ジャンボジェットの轟音が聞こえて、上を向いたら、見たこともないどでかい乗り物が飛んでいて、ぶったまげます。そのあとで、再び原付を走らせたら、もうさっきみたいに鼻歌歌えなくなっちゃった、みたいな。

「すごいだろ!」と自慢げに乗り回していた原付は全然すごくなかったし、よくよく考えてみたら、自転車や歩いてる人にも追い抜かれることあるし、マジでこの乗り物すっごいショボイな! すぐエンジン止まるし!

まぁ、そんなもんです。

「変わりゆく時代 不釣り合いでも構わない」と声からかに歌えたらいいですけど、釣り合いがとれてる状態がどんなもんかよくわからない飛べない人間(当たり前)は変わらず、いま自分が乗っている乗り物で進んでいくだけです。

バロロロロロ…………

 

<本日の一曲>
ゆず「飛べない鳥」2000年

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