難病と闘う女子大学院生が書いたエッセイを読みました。
大野更紗さんの『困ってるひと』です。
能町みね子さんの素敵なイラストに惹かれ開いた本。表紙裏のプロフィール写真を見ると、オシャレメガネの知的な可愛い子さんがほほ笑んでいます。大野更紗さん。うん、素敵だ。帯のコメントは絶賛の嵐。……と、そんな動機で、この本を手に取りました。
あらすじ
『困ってるひと』の著者である大野更紗さんは、日本ではほとんど前例のない難病抱え「困ってるひと」。
1984年生まれ。上智大学外国語学部フランス語学科を卒業後、上智大学大学院に進学。在学中より、ビルマ(ミャンマー)難民、民主化運動、人権問題を研究。NGOでも活動。
輝かしい経歴、世界をまたにかけて活動するバイタリティーがまぶしい……!
そんな彼女が、大学院に進学した2008年、自己免疫疾患系の難病を抱えることになってしまうのです。
更紗さん(親しみを込めて勝手にそう呼ばせていただきます)が患ったのは、「筋膜炎脂肪織炎症候群(きんまくえんしぼうしきえんしょうこうぐん)」。それに加えて、「皮膚筋炎」を併発。
更紗さんの説明によると、この病気は、
免疫のシステムが勝手に暴走し、全身に炎症を起こす、自己免疫疾患と呼ばれるタイプの難病。免疫そのものがおかしくなっているので、人それぞれ特徴はあれど、全身あらゆる組織に症状が及ぶ。「治す」というより、病態をステロイドや免疫抑制剤で抑えこんで、付き合ってくしかないのだ。
……。わからないなりにも、とても大変な病気だということは伝わってきます。暴走した免疫システム、症状が全組織に及ぶ、想像するととにかく怖い。
そんな更紗さんの闘病生活をメインに、これまでの成育歴、ビルマでの活動、現在に至るまでのさまざまなエピソードが語られた本作『困ってるひと』。
深刻な状況にもかかわらず、思わず笑ってしまう言葉遊び・ネタが織り込まれたパートあり、胸がしめつけられ、涙・鼻水があふれてしまうパートあり。読み応えのある一冊です。
「超ウツウツウツ、鬱女子となる」の巻
さて、そんな本書の中で、私が特に共感した部分をご紹介していきたいと思います。一うつ経験者としては、この部分がなければあまり共感できなかったかもしれません。なぜなら、難病を抱えているにもかかわらず、更紗さんの言葉には常に冷静な視点があり、強さがあふれていたから。
いま、わたしにとって、生きることは、はっきり言ってチョー苦痛。困難山盛り。一瞬一瞬、ひとつひとつの動作、エブリシング、たたかい。
ひとりの人間が、たった一日を生きることが、これほど大変なことか!
それでも、いま、「絶望は、しない」と決めたわたしがいる。こんな惨憺たる世の中でも、光が、希望があると、そのへんを通行するぐったりと疲れきった顔のオジサンに飛びついて、ケータイをピコピコしながら横列歩行してくる女学生を抱きしめて、「だいじょうぶだから!」と叫びたい気持ちにあふれている。そんな傍迷惑な気持ちなどいらないという意見はとりあえず置いておく。
こんなホットな言葉をつづる更紗さんが、重度の抑うつ状態に陥ったときの話。
どうやって生活していけばいいのかな? 稼げなくて、働けなくて、どうやって生きていけばいいのかな。もう、日常生活すら、自力でできないの。ペットボトルも、開けられないの。もう、自分の荷物を、自分で、持てないの。起き上がれないの。
一生、この先、病に怯えながら、苦痛に苛まれながら、耐えて、耐えて、なぜ、そうまでして、生きなければ、ならないのだろう。
毎晩、「朝がこなければいい。ずっとこのまま、眠りたい」そう考えながら、病室の電気を九時半に消す。
夜の暗闇が怖いわけではなかった。朝の光のほうが、ずっと怖かった。朝、病室の窓カーテン越しに陽が差してくると、また、苦痛に満ちた一日が、はじまる。その絶望感と不安で、全身が硬直した。
更紗さんがmixiに書きこんだ日記にはこんな言葉も……。
“何か食べたいとか、何か読みたいとか、何かしたいとか、何か知りたいとか、どこかに行きたいとか、今感じない。自信も、意欲も、かつて自分がどうやって生活し、生きていたのか思い出せない。自分は何が好きとか、これをやっているときが幸せとか、わからなくなってしまった”
“逃げいていること、甘いことは、自分でもよくわかる。なぜ心はつらいのだろう。同じところをぐるぐるとまわる”
“病気に苦しんで、疲れているのか。それとも、自分はもともとこういう人間だったのかな、と怖くなることもある”
“経済的不安、治療の不安、心身を脅かされている不安、自分が変わってしまった不安…………すべてが不安に感じる”
“苦しい”
……私と一緒だ。更紗さんの身体の痛みは想像できないけれど、心の痛みはよーくわかる。
きっと今こうしてブログを読んでくださっているあなたもそうじゃないかな。
なんでこんなにつらいのに生きていかなきゃいけないんだろう。
毎日苦痛しかないのに、なんで死んじゃいけないんだろう。
つらい、苦しい、逃げ出したい、不安、焦り、絶望……。
誰に何と励まされて、何を言われても、何の希望も持てなかった。
ただ、煙のように、消え入りたかった。
「わたし、生きたい(かも)」
そんなどうしようもない苦悩を経験した更紗さんが「絶望は、しない」理由。それは、すべてを読み終えたときにわかりました。
ひとは、なぜか生きる。
ひとは、なぜか、考えたり、悩んだり、好きになったり、嫌いになったり、理性的になったり、非理性的になったり、落ち込んだり、ハイになったり、死にたくなったり、生きたくなったりする。なにがあっても。
悲観も、楽観もしない。
ただ、絶望は、しない。
更紗さん……!
この本を読んでいただければ、この言葉の重みがよくわかると思います。
最初、私が更紗さんに抱いた気持ち……「ふん、インテリかよ」「意識高い系ってやつ?!」「頑張れる人はいいよねぇ~」などというジェラシー、「どーせ私はダメですよ」「しょせん私なんてね」という自虐・自己憐憫はすべて撤回いたします。どーも、スミマセンでした!
そして、今は素直に思います。
私も更紗さんのように生きたい。
「死にたい」って考えてしまうときもあるけれど、死ぬまでは自分の人生を生きてみよう。
と。
「モンスター」を「ハムスター」程度にするために
そんなこんなで、私に生きる気力を与えてくれた大野更紗さんの著作『困ってるひと』。
もしかしたら、読んでいてつらくなってしまうかもしれません。
「私よりもっと大変な思いをして頑張っている人がいる……」
「私って甘えてるだけなんじゃないか」
そんな気持ちが生まれたら、そっとページを閉じましょう。気分が安定しているときに読んだ方がきっと楽しめるでしょうから。
それでは、最後に更紗さんのメッセージを。
大丈夫さ。こんなわたしでも、今日、なぜか、生きているんだから。
<更紗さん情報>
・endogenous soul 大野更紗のブログ
http://wsary.blogspot.jp/
・twitterアカウント
大野更紗 Sarasa Ono(@wsary)
私が死にたくなった理由を、改めて考えました。
私は、近所のある人に鬱病なのだ、と打ち明けたら、その噂が回っていました。
きつい言葉も浴びました。
私は、人をすぐ信じましたが、世の中そう甘くはないようです。
主人も、主人の実家も、事なかれ主義で、私が今まで苦しんだ事がなかったかのように振る舞います。
舅に関しては、信じる者が救われる、信じないから辛いのだと言われました。
信じられないような事がたくさん起きました。
妊娠中でも、薬を手放す事が出来ませんでした。
あなたの精神状態では、出産は無理だと中絶を説得されました。
それでも産んだ子です。
どれだけ孤独だったか。
他人の不幸は蜜の味。友人もまともに取り合ってはくれませんでした。
むしろ、友人の注文住宅の自慢話を聞かされてばかりで、なんのための友人なのか分かりませんでした。
私がいけないのは分かっています。
そういう卑屈な人間なのが悪いのでしょう。
>ryshさん
うーん、そうですか……。
まず、ご近所さん。悪気はないにしても、ちょっと配慮に欠けますね。ryshさんがどんな思いで打ち明けたのか、考えが及ばないのか。うつ病への理解は難しいとは言え、ショックですよね。
ご主人と、ご主人のご両親も。なぜそのような振る舞いをされるのでしょう。悲しいですね。「信じる」「信じない」で解決できることではないのに、そう言われてしまうと……。
中絶を説得されたということも。それがどれほどの苦痛だったかと考えるだけで、もう、なんと言葉をおかけしたらいいか……。
それでも、ryshさんが孤独の中で強く生きてこられたこと。それは素晴らしいことです。きっと数えきれないくらいたくさんの苦しみを味わってこられたことでしょう。大きな苦悩をたった一人で抱えて。
一度、ryshさんが一人でゆっくり考えられる時間を作る必要があるかもしれません。そのためにも、家族支援センター、精神保健福祉センター、児童相談所などに相談して、誰か間に入ってもらって。とにかくryshさんを応援してくれる人を見つけた方がいいと思います。
ryshさんはこんなに頑張ってきたんだから。お大事になさってください。