明石家さんまさんはよく「わからんではないなぁ~」と言います。「踊る!さんま御殿!!」のような多数のゲストを迎えたトークバラエティでは必ず口にしているような気がします。
この言葉はすごいですね。肯定でも否定でもない。
「わからんではないなぁ~」に注意を向けるようになったのは、白黒思考の矯正に注力していた時期。「よい・悪い」「100かゼロ」、二分割ではなく、中間をいつも探っていました。(参考:何でも白黒つけてしまう人が知るべき真実 ~どっちつかずの生き方~)
「わかる」でもなく、「わからない」でもない。さんまさんが「わからんではないなぁ~」と言うとき、その表情は相手の言うことがあまりピンときていないように見えます。だから「わかる」ではないのでしょう。でも、「わかる」と言っていないだけで、実は「めっちゃわかる」のかもしれません。でも、「めっちゃわかる」と同意しちゃうと展開がおもしろくなくなるとか、そんなプロの視点があるのかしらという推察もできます。
けどやっぱり、わかるときは「わかるわ~!」みたいに激しく同意しているので、「わからんではないなぁ~」は、その言葉の通り「『わかる』と賛同はしないけど『わからない』ではない」なんだろうなと解釈してよさそうです。
本当に「わからない」?
「わかる」とはどういうことなのでしょうか。これを考えると、必ずわけがわからないことになって頭から煙が出るので、あまり深入りしないようにしようと思います。が、「『わかる』がどういうことかよくわからない」といっても、「わからない」がどういうことなのかはわかっているわけですよね。わからなければ「わからない」とも言えないわけで。(煙プシュ~)
誰かの発言に対する「わからない」をざっくり分けると3つあります。
・言葉の意味が理解できない
・あなたの心情がうまく捉えられない
・あなたの意見には同意できない
例えば、私は日本語以外をうまく使えないので、外国語で話しかけられたら、理解が困難です。唯一わかるのは、その人が何かを伝えようとしていること。たとえ日本語で言われても、私の知らない単語や文法を使われたら、意味を取れません。
二つめ、相手の心情をうまく捉えられないのは、当たり前といえば当たり前。人の気持ちはわからないのが前提です。でも、人間の感情は割と似たり寄ったりなので、よっぽどでなければ大抵のことは想像で理解できます。同じような時代に、同じような文化圏で生きていれば、そこまでかけ離れた価値観を持つことは少ないと言えます。おそらく、相手の心情をうまく捉えられないのは、そういう考え方を「わかりたくない」、あるいは「考えたくない」のかなと思います。少なくとも私はそうです。
今ふと思い出した話をします。効率よく仕事をこなす「デキる人」が言いました。
「仕事が遅い人はなぜ仕事が遅いのかわからない。私は早い方がいいと思うから早くやる。遅い人は遅いことにメリットがあるからそうしているの? 別に遅いことが悪いと言っているわけじゃなくて、単純に疑問に思うから聞いているだけなんだけど」
喧嘩売ってんのかよ、というのが率直な感想ですけれども。私は要領が悪く、仕事が遅い側の人間だからイラついてしまったのかなと考えたのですが、そういうことじゃないですね。わからないわけがない。遅いことにメリットがあるから遅いペースでやっているわけじゃなくて、できないんだよ! それとも本当にわからないのでしょうか? どれだけ一生懸命考えてもさっぱり理解できないのでしょうか? 別にわからないことが悪いと言っているわけじゃなくて、単純に疑問に思うから聞いているだけなんだけど。って、つまり皮肉でしかない。やっぱり喧嘩売ってましたね。理解する気がないと言われても仕方ない。
というわけで、三つめの相手の意見に同意できないときに言う「わからない」もこれとつながっていますね。
大抵のことは、「『わからない』ではない」。(もちろん本当に純粋な意味で「わからない」こともあると思います)
同意するかどうかは別として、「あなたの言わんとすることはわかりますよ」という相槌を打つために使われる「わからんではないなぁ~」は最適です。
最後に
こうして改めて考えてみても、「わからんではないなぁ~」はすばらしい言葉ですね。
肯定でも否定でもないから、話をどうとでも膨らませられます。いったん自分を中立的な立場に置いて、賛成の立場で話すか反対の立場で話すか選べます。そこから「もし私が~だったら」という仮定で話を続ければ、冷静さを保てますし、反対意見を示しても、そこまで角は立ちません。
あと、「わからんではないなぁ~」と言っている間に考えることができますね。テレビで活躍する人たちは頭の回転が速いので、たった数秒でめっちゃ面白い返しができちゃう。いや~、すごい。
「わからない」と言いたくなるときの私の心情は「言っている意味はわかる。ただ、その言葉が出てくるまでの過程がよく見えない」。というわけで、その人がどんなふうに感じ考えたのか勝手に想像して「なるほど」と納得しています。それはまったく見当外れの可能性もありますが、相手に理解を示すことで、波風は立ちません。相手が自分の意見を話しやすい雰囲気も出来上がります。
それを成しうる「わからんではないなぁ~」。
大変便利な言葉です。
またお邪魔してしまいました!
ところで、その「できる人」の言われたことは、案外皮肉のつもりでも何でもないかもしれません。実際どういうつもりだったかは本人しか分かりませんが、皮肉でも何でもなく同様の発言をする人はいると思います(いると思いたいです)。
別分野の例ですが、お洒落に関して話させてください。
ださい格好に関して、ネットの記事を読みました。私は綺麗な格好は好きだけれど、実際にはださい格好の方が服を着ることが楽です。それで、もしかして参考になるかな~♪ なんて期待して読むことにしたのですが、ださい格好に関しての記述の視点に”お洒落を失敗している”という視点が殆どの場合に含まれていて、何と表現するのが適切なのか分かりませんが、全人類がお洒落を競っているという前提のようなものに出会ってしまい落ち込んでしまいました……
自身の服装に関してお洒落にしていた方が良いと思う人は、もしかしすると殆どの場合、ださい格好をする理由が解らないのかもしれません。しかし、もしそういう方でも「何かそうする理由があるのかもしれない。」と思うことはあると思います。
この場合私にとって先の前提よりも、首をかしげて「なぜ?」と聞かれた方が嬉しいです。私にとって服を着ることがとてもしんどいこと、それでいつも一番快適な服装を求めていることを説明する機会が与えられます。
それで、今日はこの記事を読んで、
ああ、「できる人」でも聞いてくれる方がいらっしゃる
と分かり、救われたような気がします。
今回も本来の趣旨とは違うことを受け取ってしまったのだと思いますが、でもこの記事が読めて良かったです。ブログ、ありがとうございます!