「理解できない」と言う前に自分の価値観が凝り固まっていないか考えたい

丸められた紙くず

人の非常識な言動に腹が立つことはありませんか?

「あの人の神経が理解できない」
「普通はこうするでしょ」

思わず、口から飛び出します。

でも、私は本当にその人の言動を理解できないのだろうか。そう考えたとき、「理解できないのではなくて、理解する気がないだけだな」と気づきます。

言い換えるとこうなります。

「お前のことなんか理解したくない」
「なんでわからないの! バカじゃない?」
「私が絶対正しい!!!」

なんとまぁビックリ。傲慢な態度でございました。さらにもう一つ。

「私は理解力が乏しい人間です」

あら、恥ずかしい。

憤怒の対象(ポイ捨て)について考えてみた

「~なんて理解できない」「普通は○○でしょ」と言いたくなることって具体的に何かな~? と考えたときに浮かんだのがポイ捨ての映像です。

小学生のとき、クラスメイトのナオちゃんがプリッツ・サラダ味の袋を破って道端にポイしました。「捨てちゃダメだよ」と言うと、「なんで?」と返されました。

「……(え、なんでだろ? 人ん家の庭に捨てたわけじゃないし…そういうルールだから? 街を汚しちゃいけないから? え、なんで? え? 何て答えればいいの???)」

今なら「もし自分の部屋にゴミ捨てられたら嫌じゃん?」「不快だから」とでも返すのでしょうが、当時の私は言葉につまってしまいました。

ナオちゃんがポイ捨てする理由

ナオちゃんはなぜポイ捨てをしたのでしょうか?

その答えは、子供の私にもわかりました。ナオちゃんがポイ捨てした理由は、おそらくそれがカッコいいと思っていたからです。ナオちゃんは何の考えもない子ではありませんでした。頭が良い、ちょっと嫌な言い方をするとずる賢い子だったので、ルールを踏まえた上で自分に有利な選択をする子でした。そして、カッコつけな子でした。

そういう子に「ルールを守りましょう」と言っても無駄です。ルールを破ることが目的になっているのだから。

行為の是非はともかく、ナオちゃんの人となりをひも解いていくと「なるほどね」と納得します。

ポイ捨てしてはいけない理由

お笑い芸人の鳥居みゆきさんがいつか話していました。タバコをポイ捨てするサラリーマンに出くわしたとき、当時付き合っていた人が言ったそうです。

「おい、ちょっとやめろよ」

「地球は俺のゴミ箱なんだよ」

私はこの話*1 が大好きなんですが、結局のところ、私がポイ捨てに憤るのはこれと似たようなものじゃないかと思うわけです。

「地球はお前のゴミ箱じゃねぇんだから捨てんなよ!」

……ん?

とりあえずのアンサー

ポイ捨てを咎める一般的な意見としては、「みんなの街を汚すな」といったところでしょうか。

「ポイ捨てするなんて理解できない」という怒りを反映すると、「(私が)汚さず使っている場所を汚すな」がしっくりきます。

ポイ捨てする人間の非常識な意識をポイ捨てしてやろうと思っても捨てる場所がなくて困ったなぁ、なんて怒りに任せてつらつら考えていくと、「理解できない」と言う自分こそエゴイスティックだと気づきます。

「私の目の届く範囲にゴミを捨てるな!」
「私の思い通りにならないなんて許せない!」

そんな私はゴミですか?

いいえ、ゴミではありません。

それは本当に本当ですか?

「理解できない」が自分に向くと苦しい

「理解できない」と言いたくなるとき、私は「正しい・正しくない」「できる・できない」で○×をつけようとしています。

「私は正しい。お前は間違ってるからダメー」

「私はできるからOK。お前はできないからNG」

この考えを持っている人が「正しくない」「できない」立場になったらどうなるでしょうか。

「こんなこともできない私はNG!」

そう自分を責めることになるかもしれません。

私はそうでした。今でもそうです。そういう自分は好きになれませんね。

理解できないのが当たり前だから

別にすべてを理解する必要はありませんが、「理解できない」と言って○×をつけようとする自分に無自覚でいたくないなぁと思います。

自分が絶対正しいなんてありえないのに、「私が絶対正しい!!!」と叫んでいる。

そんなとき、「地球は俺のゴミ箱なんだよ」を思い出すと笑っちゃうし、自分の傲慢さに気づきます。

そして、「理解できない」と言って見下そうとしている人のセリフを「地球は俺のゴミ箱なんだよ」風に置き換えると、これまたすごい笑っちゃう。

「そんなこともわからないなんて理解できない」

→「私の考えが絶対正しい!」
 「私は理解力に乏しい人間です」

自分が言っちゃったときは、「キャッ! 恥ずかしい!」と赤面。ムカつく人に言われたときは「出たー、ゴーマンな人間ー!」と笑える(かも?)。

最後に

「ああいう人の神経が理解できない」と思ったら、

「バッカじゃねー」
「クソが!!」
「俺様が絶対に正しい!」

に置き換えてみます。

「バカ」「アホ」などの罵倒は怒りを増長させるものですが、私は清らかな心もちょっとは持ち合わせているので、「『クソが!』って言う人がクソなのよ」「あなたも私もクソなのよ」と優しくなだめられます。

そんな感じで、穏やかな心をキープできています。と胸を張って言えるほどではありませんが、怒り狂うことはありません。

理解に苦しむ人の心理や、自分が腹を立てる理由は興味深く、「バカヤロコノヤロオメェ」と言いながら、今日も薄っぺらな考察を楽しんでいます。

 

*1 「全裸は大変だった」鳥居みゆきさん – 日経ウーマンオンライン

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