今日、ちょっと面白いことがありました。ずっと愛用しているツールの開発者さんに投げ銭できたらいいな~と思って情報を調べていたのですけれど、開発者さんのプライベートが充実している気配を感じて、「ああ、別にいいか」と気持ちがスッとしぼんだのです。驚きました。最初は「応援したい」という気持ちだったのに、ほんの一瞬でモードが切り替わってしまった。そんな自分が嫌だなぁともんやりしました。
人の幸せにモヤッとするなんて、私は心が狭いなぁ。応援したい気持ちと、嫉妬や羨望が混じって、なんだか複雑な感情になってしまったのか……。いや、え? あれ? まさか、私は人の不幸を願っているの? 確かに「人の不幸は蜜の味」と思う瞬間はある。悪いことをしている人が痛い目に遭ってるのを見て「ざまあみろ」と思う。うーん? 飛躍してるか……つながりがあるようなないような。でもこれってわりと普通の感情のはず。スカッと系コンテンツはいつの時代も需要がある。それがその証拠ですよね。
だからといって、それを是としたくはない。きっと今の自分は疲れてる、余裕がないんだな。そう解釈することにします。
実際今の私は、お金に余裕があるわけでもなく、気力も絶賛低下中。他人の幸せに触れるとエネルギーを消費してしまうのです。元気いっぱい投げ銭をして応援する余裕が今の自分にはありません。むしろ私にエネルギーの投げ銭をしてください。って、いやほんと、冗談抜きに、できるものなら実装したいものですよねぇ……。いや待て、そのためには投げ銭してもらえる前提がないといけないのか? ああいけない、こちらの道は危ないので、引き返しましょう。
えーと何の話だっけ? そう、投げ銭するかどうかの話。「応援したい」という気持ちがしぼんでしまったのはまあ仕方ないよねという自己弁護。自分に対する自己弁護。一人法廷、今日も開廷中。前にそんなマンガを読んだな、そうそう、九井諒子さんの「代理裁判」(感想エントリ)。
私の弁護人にはこう主張してもらいましょう。「今は省エネモードで、使えるエネルギーが限られてたからしゃーない」。ってカジュアルすぎる法廷だな。
ともあれ、これって一般論に置き換えても通用しそうです。
人の幸せにふれてモヤモヤするときって、疲れてるんだよ。
善意のスイッチは押せなくても、悪意のスイッチを押さなかった。それで十分。
できるときに、できることをやる。そういうことにいたしましょう。
