私もかつては社会に適応しようとジタバタしておりました。が、今では伸び切ったパンツのゴムのようにダル~ンと緩みっぱなしです。そんなことでいいのでしょうか。
とはいえ、昔の必死だった頃の自分を思い返すと、それがよいとも言い難い。
当時は、正解っぽい生き方をかき集めていました。
仕事、結婚、子育て、社会貢献。
ハッピーセットならぬ、まともセットです。
うまくいかないと「努力が足りないのでは?」とさらにアクセルを踏む。
その結果どうなったか。
壊れました。診断名もつきました。もし人生がスタンプラリーなら、珍しいスタンプをゲットだぜ?
それでもまだしばらくは粘りました。が、そのうち力尽きました。
そして、すべてを諦めた。
すると、荒ぶっていた波は落ち着きました。世界は静かになったのです。
そして見えてきた大きな枠組み。
「ああ、私は負けたんだな」
ルールを理解した上で、そう心から納得している今です。
とはいえ、悟りきった仙人になったわけではありません。
恨みつらみもある。被害者意識もある。拒絶されるのは今でも怖い。
頭では「もう大丈夫」と思っても、身体は先回りして身構える。
人と会えば取り繕い、言葉を慎重に選び、過剰に配慮する。
その場は楽しくても、あとでグッタリ。その反動がすごい。
傷つかないために身につけた防御法だとしても、これってどうなんでしょうかね。
まあいったん良し悪しは置いておくとして、今の私に必要なのは、勝つことではありません。立派になることでもありません。いかに摩耗を増やさず、安全に過ごせるかです。
成果の代わりに消耗率を見る。
削られすぎていないかチェックする。
「頑張れたか」ではなく、「壊れなかったか」を見る。
何もしない日を「回復日」と呼ぶ。
自分を責める心の声は、「はいはい、いつもの通知ね」と流す。
取り繕いはいきなりゼロにできないので、「多少雑でも大丈夫だよ」と自分に言う。
今の私は、消化試合をプレイ中です。点を取りにいく必要はないし、逆転も狙っていない。ただ、大怪我をしないよう時間を使う。それだけ。
派手さはないけど、静かで穏やか。
今日を無事に終えられたなら、それだけで十分。そう思えるようになった今の自分なら、ちょっとは信用できそうです。またヒャッハーしたらどうしよう……という若干の不安は抱えながらも。
