再起困難な失敗、年齢だけでは語れない経験について

「若いうちはたくさん失敗しろ」

そんなアドバイス、よく耳にしませんか。年長者が若者に言うやつです。

私としては、どうもこの類の話、素直に頷けないところがあるんですよね。

いえ、若いうちにいろいろ経験しとくといいよという点は私も同意なんですけど、その中で「若い人にはたくさん失敗してほしい」みたいな言葉があると「うーん?」と思ってしまうというか。

いや、わかるんですよ、「時には失敗することもあるかもしれないけど、すべてが糧になるから、いろんな経験をしてみて」って話ですよね。挑戦すること、大事。トライ・アンド・エラー、大事。わかる、わかるんだけど、なんというか、言葉が足りなすぎません?

「苦労や失敗をたくさんしてほしい」的な助言には、「取り返しのつかない失敗」は含まれていないように感じます。「やりたいことに挑戦して、うまくできなかった」くらいのことを「失敗」と呼んでいる。失敗してもやり直せる前提がある。

「じゃあ、もし再起不能レベルの失敗をした場合はどうなるの?」と問われたら、助言者はどう答えるのでしょうか。

まあこれって私のような人生は眼中にないって感じが寂しい、という話なのかもなとは思います。助言者の周りにいる若者向けの話で、数多ある道を想定して話せなんて要求が過ぎるでしょうしね。私が勝手に首を突っ込んで「私は含まれてない」と言っているだけだとしたら、ズレているのは私のほうです。そもそも自分はもう若者じゃないし。

とはいえ、若者より年長者のほうが優れているという前提は微妙だなと思うことはあります。もちろん、生きている年数が長ければ、より多くの経験をしているとは言えそうです。でも、若くして苦労している人もいますからね、その場合、むしろその若者のほうが経験豊富な可能性も大アリです。

つまり「経験」は単純に測れない。にもかかわらず、相手の背景を想像せずアドバイスしてしまうと、それはただの押しつけ、助言者の自己満足になってしまいます。

今の思いを表すなら、「年上ってだけで自分が常に相手より優れていると思うなよ?」という感じでしょうかね。

人の数だけ道がある。
すべての人に敬意を持とう。
どんなことにも学びがある。

そんなことを思いました。

 

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