なりたい自分、なりたくない自分

 
「あなたは『なりたい自分』になれていますか?」
 

そう問われたら、何と答えますか?

 

「なりたい自分」とは。

はてさて、自分はどんな自分になりたかったんだっけ?

思いを巡らせてみましたが、すっかり忘れてしまいました。

ないことはなかったはずなのですが……。いえ、前回書いた話を引けば、自分はハードワーカーへの憧れがある。ありました。

でも、今あらためて考えてみると、それって、なんとなく「頑張っている自分」がかっこよく思えたから、くらいの考えだったようにも思えてきます。

 

そんなことを考えるでもなく考えて、はたと気づきました。

「なりたい自分」にはなれていないかもしれないけど、「なりたくない自分」にはなっていないよな?

そうだ、そうだ。うん、そうじゃないか、それって素晴らしいことじゃない? 

一人うんうんと頷きました。あーよかったよかった、一安心。

 

が、しかし、果たして本当に「なりたくない自分」になっていないのだろうか。

そう自問した瞬間に自信がなくなりました。

自分が「なりたくない自分」とは、例えば、「人の話を聞かない」、「頭ごなしに否定する」、「相手を見下す」。

なりたくない。そうならないように努めている。それは間違いない。

けれど、それがちゃんとできているのかは不明です。「相手を見下す」あたりはかなり怪しい気がします。だってこういうのって、無意識的にやっちゃってそうな気がするし。

見下しだけではありません。相手の意見を受け止めるふりをして、自分の価値観を押しつけてはいないだろうか。それが結果的に相手を全否定することになっていないだろうか。

疑い出すとキリがなく、気分はすっかり下向きに。せっかく上昇しかけたのに……。

 

けれども、そうやって立ち止まり、振り返ることが「なりたくない自分」から遠ざかる一歩なんだろうとも思います。

完璧にはなれないけれど、そうありたいと願い、考え続けること。

それがきっと、遠回りでも自分の「なりたい自分」に近づく唯一の道なのだと思います。

……と、優等生的なことを書いて、なんだかなぁ~とため息をつくのでした。

 

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