自分に合った自己受容「何言ってんの、こんなもんだぜ」

最近、どうですか。

当方、相変わらずの行き詰まり、「もっと気分爽快になりた~い」「あああダメだ頭が働かない、なんでこんなに終わってんだ」と、心身の稼働っぷりの悪さにウンザリげんなりガッカリすることばかりです。

でも、最近は、こういう気持ちになるたび、自分に言い聞かせる言葉があります。

「何言ってんの、こんなもんだぜ」

これ、妙に納得できるんですよね。

もし誰かがそう言っていたらきっと「そんなことないよ!」って思うと思うんですけど、きっと自分に言われるから納得できるんでしょうね。自分の中にいろんな自分がいて、多分一番年上のお兄さんお姉さん的ポジションの自分がそう教えてくれる。

大人な自分とか、子供な自分とか、いろんな自分、あなたの中にもいませんか。

 

「なんでこんなにダメなんだ」と思うのは、他者との比較もありますが、過去の自分と比較していることもけっこう多い。

そういうとき、「こんなもんだぜ」は効きます。自分の立ち位置やここまでの経過を考えれば、まあ妥当な出力でしょうと教えてくれる。兄貴姉貴的な自分が。いや、おじいちゃんおばあちゃん的ポジション? いや、多分までそこまで成熟しきってないから違いますね。

ああ、おじいちゃんおばあちゃん的ポジションの自分いたらめっちゃいいよな~! 酸いも甘いも噛み分ける賢者の知恵、授けてほしい~! と思いましたけど、あくまでも自分ですからね、あんまり期待できないという悲しみ……ハハ。年を取ったからっていきなり知恵者になれるわけじゃないのである。

 

ありのままの自分を受け入れるのは難しい。

でも、「今の自分に価値を見出す」ならまだできるかも? 

若干無理くり感は出てくるかもしれないけど。物は言いようというか。対象が他人だと思えば、けっこう普通にできそうな気がしませんか。

自分の中にいるいろんな自分に手伝ってもらいつつ、とりあえず現状受け入れて、前に進んでいくための方向づけをできたらいいですよね。

「『こんなもんだぜ』の受容」と「前進」のバランスを取りながら……って、これがまた難しそうで困ったな、「ほどほど」って簡単じゃないんですよね、実際のところ。

でもまあ、とりあえず自己嫌悪や無力感からのうんざりげんなりは落ち着いたからヨシとします。

何事も一気には変えられないですもんね。

じわじわ、ちょっとずついい感じにしていけたらと思います。

 

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