「誰もそんなことは言っていない」

久しぶりに会った人に「変わらないね~」と言われる。そんなシチュエーション、経験ありませんか。

これ、うれしくないんですよね。

相手が良い意味で言っていることはよくわかります。

「変わらぬ良さを持ち続けている」ということを伝えてくれているんですよね。

もっと言うと「あなたをあなたたらしめる良さを持ち続けてくれていてうれしい」ぐらいの好意を伝えてくれている場合もある。

うん、こうやって書くと、ありがたいことだなと感じます。

 

にもかかわらず、素直に喜べない。

「変わってない? ええ、そうですね、成長がないですもんね~」とか思って、元気をなくしていたりするのです。

誰もそんなことは言っていない。

自分がそう思っているだけです。

そういうことって多いと思います。

相手の何気ない言葉に、全く違うメッセージを紐づけてしまう。

そういうのやめたいね~と思うんだけど、なかなか簡単にはやめられないね~、と半ば諦めたような気持ちでしまりのない顔をさらしているのですけれど。

 

で、「変わってない」という挨拶代わりの言葉。

じゃあ「変わった」と言われたら喜ぶのかといったら、そうではないんですよね。

たとえば「わ~見違えたよ~」と言われたら。

「ふむ、ということは以前はイケてなかったってことなんですかね」と思う。

あるいは反対に、「以前と違って今はしょぼくれてるってことなのかしらね」など。

誰もそんなことは言っていない。

相手が心の中で思っている可能性は否定できないけれど、たぶん自分が思っているほど強くは思っていないし、おそらくは自分の予想が外れている。

 

どうしてそんなに卑屈になるのか。いじけるのはやめましょう。と自分に言ったところであまり効果はないのだけれど、賛同しているとますます卑屈思考をブーストしてしまうので、諌め続けることは必要。

考えてみると、「誰もそんなことは言っていない」ってよく自分に言ってる気がします。

ノリとしては、キートン山田のナレーションのように、少し離れた距離から冷静にツッコむ感じ。アニメ『ちびまる子ちゃん』のあれです(今はキートン山田さん引退されて2代目の方になっているのですが、私の中でキートン山田はもはや登場人物の一人)。

よし、これからは自分の中にいるキートン山田のナレーション力に磨きをかけよう。

 

と、まさかキートン山田が解決のキーになるとは思いませんでした。

この文章を書き始めたときには、キートン山田のキの字も頭になかったですからね。

やっぱりこうやって思いつくままに文章を書くのは面白いですよね。

「気持ちを書き出す」というアクションも、ネガティブ思考を和らげるのに大いに役立ちます。

 

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