90代の高齢さんが近所にいます。直接知っている人だけで3人。知り合いの知り合いならもっといます。みなさんお元気です。昔は90代といったら「長生き!すごい!」という感じだったけれど、今は普通になりましたよね。高齢化社会を実感します。
いやしかし自分の人生があと50年と言われると、しんどいな。考えたくない。以前はその事実をチラ見しただけで絶望したから、こうやって文字に書き出せるようになったってことは、まあ希死念慮も弱まってきていると捉えることもできるのですかね。
それに、長生きするといいこともあります。長生きをするってことは、映画やマンガをはじめとするエンタメを楽しむ時間がたくさんあるってこと。それはめっちゃ嬉しい。まあ、それができる身体の状態や環境を保てていればという前提にはなりますけれどもね。
映画にしても本にしても、自分が死ぬまでに観られる/読める作品は限られているわけで、それを思うとちょっと悲しいし寂しい。でもそれほどまでに作品があるという事実は喜ばしいことでもあり、うあぁ~~~となります。
映画のことを考えている時間は楽しい。筋肉少女帯の「サボテンとバントライン」を思い出します。いいよねこの歌。サボテンと猫のバントラインと僕。少年は絶望している。刹那的です。この感じに救われるところはある。というかあった。大いにありました。この歌の歌詞「バントラインとサボテンと 映画を見ている時だけが幸せだった」の部分に大いに頷きながら。
歌詞の中に出てくる映画『真夜中のカーボーイ』はまだ観ていません。その代わりに、刹那的という自分の中に生じたキーワードで『セインツ -約束の果て-』という映画を思い出しました。なんでだろう。その場しのぎの選択と、未来を見据えた選択について考えたからかな。同じ監督の映画で、『ア・ゴースト・ストーリー』は、刹那的の反対。永劫的、悠久の時を感じさせる内容です。自分の人生について考えるとき、「こんな捉え方もできるよ」と教えてくれる映画はありがたい。しんどくなったときの視点の切り替えに役立つから助かります。吸血鬼の映画もそうですよね、エルフとか。
映画館を爆破させて猫と一緒に吹っ飛ぶわけにはいかないから、エンタメを楽しみつつ、「いま・ここ」に喜びを見出し、永劫的なテーマに思いを馳せることで、自分の人生をいい感じにしていけたらいいのかなと思います。
園芸店にサボテンでも見に行こうかと今思いつきましたが、数か月前に閉店したことを思い出しました。諸行無常です。