「私は」ではなく「○○という現象は」で語り、問いかける

「時間の流れが早い」ってつい言っちゃうよね~という話を少し前に書きました。

「かぁーっ!時間の流れが早いわ~」

これを書いたことで改めて自覚したんですけど、自分「時間の流れが早い」言い過ぎ。心の中でもしょっちゅうつぶやいてる。だってねぇ、本当に早いんですもの、月日の流れが。time flies という英語表現もあるし、世界中の人が言ってるってことですよねきっと。毎度びっくりしてるんですよ、日記を眺めるたびに。「え、もう1年経つの?!」「あれ10年前?!」って。

 

くり返しになりますが、自身の体感について語ること自体に害はないはずです。

でも、それがしつこかったり得意げだったりするとウザがられる。

だからといって自分を下げればいいかというと、そうではない。自虐風自慢というものもあります(受け取る側の問題という場合もありますけれど)。

となると、もう黙ってるのが一番だなってことになりますよね。

でも、むっつり黙ってるのもいやだし、だからといって口を開けば、すぐ「月日の流れが早い」と言ってしまうから、油断ならない。対策が必要です。

体感を無難に語るにはどうすればいいのか。って別に語りたいわけじゃないんですけど、うざがられないための注意点。

・何度もくり返さない
・得意げにならない
・卑下しない

このあたりでしょうか。まあこれは何事においても言えることですかね。「俺が俺が」にならないように気をつけよう。

 

そんなことを考えていたからでしょうか。

東海林さだおさんのエッセイを読んで、いたく感動しました。

『ざんねんな食べ物事典』収録のエッセイ、「懐かしや「死んだはずだよお富さん」 日本の流行歌の変遷と研究」。

この中で東海林さんは、「名前が出てきただけなのに胸が高なる、という現象は、言いにくいことだが一種の老化現象ではないのか」と書いています。そうかもしれん、言われてみると。

「一人一人の名前が出るたびに嬉しく、懐かしく、胸が少し熱くなる現象」、ああそういえば昔そんな人いたなぁ!というあれ。この現象の名は「いた、いた胸キュン」略して「いたキュン」。ああ、わかる! 確かにあれは「いたキュン」だ!

歳を重ねれば重ねるほど、「いたキュン」の頻度や度合いが高まることは想像に難くありません。そういう意味で、確かにこれは老化現象なのかも。あれ、でも、感度が上がるってことは衰退や機能低下ではないから老化ではない? 多くの経験を重ねたからこそ、という話になるのかな。

いずれにしても、東海林さだおの着眼点や語り口には毎度関心するばかりです。ほんとすごい。

 

そして思ったのです。「そうか、加齢による変化について何か言いたいときは、現象について語ればいいのか!」と。

「私は」ではなく「○○という現象は」で語る。法則や概念を取り出しみる。自分なりの解釈をプラスしてみる。

そして、問いかける。

「あなたはどうですか」
「こういうことってありませんか」

考えてみればそうなのです、めんどくさがられるのは、俺が俺が言ってる人。相手の存在を無視しているのです。

一般化する視点を持つと自分から距離を取れていい感じになりそう。現象について語れば、みんなでシェアしやすくなりますしね。要するに、あるあるネタですよね。

そんなこんなで前回の話にけりがつきました。

 

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