世の中にはいろいろな性質の人間がいるなと日々思います。
自分とぜんぜん違う人間は、自分とぜんぜん違う。当たり前。
自分とぜんぜん違うということは、これ一体どういうことなのでしょう。
物質に例えてみるとわかりやすいかもしれません。たとえば、水。個体と液体と気体に変化するその過程とか違いとか。
一人の人間の変化でもあるし、人との違いを説明するための違いとして挙げることもできるかもしれない。え? どういうこと? 自分でも何を言ってるかよくわかりません。
いやほんとにね、自分と全然違う性質の人が存在しているんだなと最近つくづく思うのです。同じことをくり返してすみません。暑さで頭がやられているかもしれない。
いやでもほんとにあまりにも自分の感覚と違いすぎているとですね、びっくりです。自分の当たり前は全然当たり前じゃない。その事実に衝撃を受けて戸惑っている自分って一体何? とはてながいっぱいです。
そんでもって、まだまだ自分の知らない性質を持つ人がたくさんいるんだろうとも思います。
自分の理解は果たしてついてくのか。ついていくわけないよなぁ。途方に暮れてしまいます。
もともとの性質だけではなくて、さらに環境要因とかも入ってくるわけだし。時間経過とか化学変化的なものとか、要因もいろいろ。やっぱり途方に暮れてしまいますわ。
でも、途方に暮れることも多分大事なんですよね。分かった気になることの方が危険。危険っていうのは大げさだとしても、わかってないのに、分かった気になってるのは嫌ですよね。わかってないせいで人を傷つけることもあるんだろうし。何なら、今だって無自覚にそうなっているのかもしれない。いやきっとそうに違いない。自分の想像の及ぶ範囲なんてほんとにせっまいせっまい。あぁ、あぁ。
でもまあ仕方ないですよね。自分と違う人間を知る作業は簡単ではありません。興味を持って、相手の気持ちになって考える必要もある。心をオープンに。いったん自分をなくす必要があるのかもしれない。なくすというか、自分の基準を手放すというところでしょうか。自分の基準で考えていたらわからないことがたくさんあるから。ああもうほんとにわからないことだらけでギャーーーと大声を上げたくなりますね。
子供が公園でキャーキャーギャーギャー言っているのは微笑ましいけど、大人が奇声を上げたら、周りの人を心配させてしまうので抑制しましょう。頑張ってセーブしますね!
あぁぁぁっっぁぁーーーーーーーーー