先日取り上げた『よくわかる痛み・鎮痛の基本としくみ』を読みました。
全然わからなくて笑っちゃう『よくわかる痛み・鎮痛の基本としくみ』 | ナミうつブログ
今回はまず、重箱の隅をつつきます。
スポットを当てるのは、「楽観的に痛みと向き合う」という言葉。
「楽観的に痛みと向き合える」から「軽快・回復」に向かうという説明です。
(p.101 慢性痛の悪循環 ― fear aboidance モデル ―)
これを見たときに「楽観的じゃないからダメってことですか?!」「いきなり『悲観』or『楽観』ルートには分岐しないでしょ!」と半笑いで小さくキレるみたいな感じになっちゃったんですよね。
もちろんそういうことが言いたいんじゃないってことはわかってるんですけど、悲観的に考えがちでよくないという自覚があるからこそ、「楽観的じゃないことを悪く捉えられるのは嫌ですわ」と思ってしまったのです。
しかしそうやって意固地になるのはカッコ悪いので、よりよい状態を目指そうと思い直しました。
というわけで、以下、痛みとうまく付き合うための心構えなどをまとめます。
痛みに対するネガティブな思考が痛みを悪化させる
痛みに関する体験を否定的に捉えることが、痛みを悪化させるという考え方があるそうです。
これは「破局的思考」と呼ばれ、破局的思考を数値化する尺度「痛みの破局的思考尺度(PCS;pain catastrophizing scale) 」に関する研究も重ねられているとか。
破局的思考は痛みを慢性化させるという問題もあり、注意が必要。
特に問題となるのは、反芻、拡大視、救いの無さ。
「救いの無さ」は「無力感」と置き換えてもいいのかなと思います。
痛みについて何度もくり返し考えたり、痛みを大げさに捉えたり、痛みに対して無力感を抱いたりすると、痛みが悪化するので、気をつけましょうというお話です。
痛みを悪化させないための心構え3つ
反芻・拡大視・無力感。気をつけるのは、この3つ。言い換えると、
- 何度もくり返し考えない
- 大げさに考えない
- 今の自分にできることをぼちぼちやる
無気力になっちゃうのは仕方ないですね。これはいろいろ積み重なった結果としての状態です。自分の力ではどうにもならない場合も多々ある。
だから、あまり「ダメだ~」とか考えずに、「とりあえず生きる」「死なない」の精神で。
「自己効力感を高めよう」というアドバイスもありました。小さな「できた」を積み重ねるということですよね。
「悪いところばかり見るのではなく、良いところも見るようにしようね」というアドバイスも大切にしたいところです。
悲観的に考えることも必要だと思います
痛みが慢性化する要因の一つ、破局的思考。
ネガティブな感情や外部情報の影響で、悪い方に解釈してしまうことがあるので要注意。
でも、身体が弱ったときに悲観するのって普通では?
逆に、痛みの直後、いきなり楽観的に捉えられたら「大丈夫?」って心配になりませんか。いやそりゃ痛みから解放されれば「痛くないって素晴らしい」と舞い踊りたくはなりますけれど。
私の場合は、「痛みが生じて○○できなかった」という事実に落ち込んでしまうことが多いです。
でも、その事実を踏まえて困ったときのことを想定するようになるから、備えることができます。だから、悲観することも必要。備えあれば憂いなし。
そういうこともあって「楽観的に痛みと向き合う」という言葉に引っかかっちゃったんですよね。
まあ、本書が言いたいのは、悲観するだけで対策を考えず、同じことをぐるぐる悩んだり大げさに考えたりするのはよくないねってことだと思うんですけど。
なんですけど、「楽観的になんてなれるかい!」というのが正直な感想で……。
上っ面の言葉に引っかかってるようじゃ、まだまだ修行が足りないってことですかね……。
精進します……。
まとめ:よき生活のために心がけること
というわけで、まとめます。
日々心がけたいことは、
- 痛みについて何度もくり返し考えない
- 大げさに考えない
- 今の自分にできることをぼちぼちやる
- 悪いところばかり見るのではなく、良いところも見るようにする
- 小さな「できた」を積み重ねる
こんなところでしょうか。
ここまで言葉尻をとらえてなんだかんだ言うみたいになってしまったのですが、本書読んでから、「楽観的に向き合う」がマイ流行語になりつつあります。
何かにつけて「楽観的に向き合います」と言う人です。
絶好調男・中畑清を見習って、いつでもどこでも「絶好調!」と言っていたときのことを思い出します。
双極性障害である私の場合は、本当に絶好調になっちゃうと困るので、ほどほどにしないといけませんが、メンタルバランスを保つため、ポジティブワードを少し多めに口にすることが必要なのかもしれません。
Take it easy.
(気楽に行こう)
(じゃあね)