シェアしないことで得られるもの

プライベートな手紙をSNSで共有する。そんな場面を見かけて驚いたことがあります。

うれしいことをうれしいと素直に言える、「見て見て~」と開示できる、その姿がまぶしい。周りの反応も含め「これがデジタルネイティブ世代の感覚なのか!」という興奮がありました。新たな発見をしたような気分です。

もちろん気になる部分はあります。まず、個人情報の扱いがゆるい。せめて第三者の本名は隠して~。さらに、信頼関係の上で成り立つ大切な話をネタにしてまで「いいね」をもらいたくなっちゃうのだろうか、と心配になります。

でも、周りの反応は好意的で、こういう感覚がアリなコミュニティもあるんだなぁと強く印象に残りました。好意的な反応をしていた人たちが、心から「いいね」と思っていたかはわかりませんが。

 

話は変わって、先日ちょっといいことをしました。何をしたかは秘密です。なぜ秘密なのか。その理由は、シェアしない方が満足度は高まると思うからです。

好きなことについても、私はあまり人に話しません。話すとしたら、3番目か4番目くらいに好きなものについてです。

本当に大好きな事柄は、好きすぎて語る言葉を持ち得ない、言葉にしたとたん陳腐になりそうだから言えない、という思いがあります。あとは、単純になんか言いたくないという気持ちもあります。

この「なんか言いたくない」とはどういうことなのでしょうね。独り占めしたいということなのでしょうか。

 

共有することで生まれる素敵な感情はたくさんあります。

ただ、人に伝えるようとすると、「何をどう伝えるか」「それを伝えることで自分はどうしたいのか」「どう思われたいのか」といったことを意識するようになります。そして大抵は、よく見られたいから、カッコつけてしまいます。

その時点で、共有したかったものは違う形になっています。純粋な気持ちをそのまま残すことができないのです。

空気に触れると酸化する物質のように、純粋な感情は人に話すと変化する。私はそう思っているのでしょうか。

人に話した瞬間に失われるものとは何でしょう。失われるわけではなく、変化するだけでしょうか。

秘密の共有により強化される友情があることを思うと、人に知らせない行為って、実はすごい技となり得るのかもしれない???

「語る(騙る)」とともに掘り下げてみたら面白そうです。

 

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