(※今自分で書いたものを読み返してちょっとやだなと思ったので、最初に注釈を入れておきます。ここに書いたものはあくまでも私個人の話です。過去につらいことがあって、それを忘れられない、今もつらいと泣いている人の気持ちについて書いたものではありません。あなたの、当人のその思いは紛れもない真実。誰が何と言おうとも、軽んじられてはいけない心の在りようだと思うので、ここに書いた話は鼻くそぐらいに思って適当に受け流してください。)
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過去の嫌な思い出をいつまでも忘れられずに今日も悶えているみなさん。
……と呼びかけられたら「はーい」と返事をしちゃうだろう私ことこの自分ですが、最近自分の記憶に自信がなくなってきました。
自分って実は記憶をものすごい改ざん捏造しているんじゃないかという疑いを抱くようになりました。これは間違いなく事実だと言える事柄でもかなり偏った認識をしているんじゃないかと弱気になってもいます。いや、別に、これまで強気でいたつもりもないんですけど、自分は全然正しくないというか、誰も正しくないと思うようになったというか。「みんな同じくらい悪い」という中島みゆきの歌詞を実感するようになったというか、みんな少しずつ悪いというか。いや、ちょっと話がずれてきてますけど、とにかく、自分の記憶力が心許ないよ~と。
というのも、人に「前○○ってことあったじゃん?」などと言われて、その記憶がスッポリ抜けている、あるいは心当たりはあるもののぼんやりしていて掴めないということが何度かあり、自分の記憶力がいかに当てにならないか思い知る機会が増えたんですよね。顕著になったのはここ2、3年だと思います。まぁ、明らかに間違った記憶は今のところ見つかっていないし、特に困っているわけでもないのですが……。
印象深い出来事、特に嫌だったことは、何度もくり返し思い出すから、強化されます。思いが強いほど、その部分は濃く描かれて残るもの。中でも不満や無念は威力が強く、結果的に事実をゆがめてしまうのかもしれないなぁと自分の記憶具合を鑑みながらそう感じました。「怨念」という言葉なんて、音の響きや字面からしても、何かぬあぁぁ~っときそうな雰囲気ですよね。
まぁそんな感じで自分を全然信用できません。自分の頭にある情報(記憶)なんて当てにならないと強く思うようになりました。エピソードの記憶力は良い方だと思っていたんですけどね、「よく憶えてるね~」と感心される(呆れも含む)ことも多かったですし。
記憶が当てにならないことは悪いことではなく、むしろそうなってから、以前に比べて事実関係をよく吟味するようになったような気がします。だからそれはそれで良い傾向かなと思わないこともない(というより特に何も思っていない。ぼーっとしている)。
ここ最近は「忘却の彼方へ」とか「混濁」とかいった言葉がよく浮かびます。特に意味はありません。音と雰囲気が好きなんだと思います。混濁は、混ぜられ溶け合いそうなマーブル模様のイメージで、ちょっと英語っぽい響きもありダブルミーニングを楽しむ感じでしょうか。そんなぼんやりしたイメージを生成して、自分という存在の儚さ頼りなさを感じています。これもまぁ現実逃避の一環でしょうね。
こんなにぼけぼけしていていいのかな、ダメだよなと思いながらも、変に覚醒して周りに迷惑かけるよりはましか、と自分を慰める日々です。あぁ、できればもうちょっとシャキッとしたい……。
ナミさんこんにちは。
約3年ほど前に毎日このサイト見ていた者です。当時会社へ行くのが辛くて辛くてその日をなんとか生きる生活をしていました。腹を割って話せる人もいない中で、このサイトをたまたま見つけたのですが、誰よりも私の事を理解してくれているような気がして、本当に救われていました。ここはあなたが作った私の居場所でもありました。半年間ほどお邪魔したのち、少しずつ元気を取り戻して、声もかけずに出て行きましたが、今は小さな喜びや幸せを感じながら元気に過ごせるようになっています。お会いしたこともなくコメントも初めて書きますが、あなたがかけてくれた言葉は決して忘れません。あの時は本当にありがとうございました。