いつもと変わらずある、役に立たずともただそこに存在していることの重要性

空に浮かぶ雲
深刻なニュースをたくさん見聞きしてひどく落ち込んでしまうときってありませんか。

先月まさにその状態に陥ってしまいました。

ちょうど人の命や尊厳に関わる大きなニュースが飛び交っていて、どれも重要だから押さえておかなくてはと情報をため込んでパンク寸前になっていました。

これ以上ないくらいにシリアスな顔をしていたと思います。胸が苦しくてギリギリとしていました。

 
その頃このブログで更新しようとしていたのは「ただ生きるって難しい」という投稿。

かなり前に残したメモを元に、思いつくまま書いたものです。

特に深い意味はなく、自分が長いこと感じている思いを勢いに任せて書きました。あくまでも私個人の生活を見つめた上で生まれた日記です。

なんですが、このときこのテキストを公開することはためらわれました。ちょっとした言葉にも敏感に反応して、変に問題と結びつけてしまったからです。書いたときとは状況が変わって意味深に感じられたりもしました。そんな意図はないのに。

 
こういうことはこれまでに何度もありました。

何について語るか、何について語らないか。

迷います。

誰かを傷つけるのが怖いと思うと同時に、何かを発した(あるいは発しない)時点で誰かを傷つけている可能性があると気づくと、考えた末に決定した自分なりの方針もぐらつきます。

 

このブログはいつ読んでも違和感なく当てはめやすい状態にしておきたい、という思いがあります。

「誰でも」というわけにはいかないけれど、できるだけ特別をつくらない。みんな同じくらい大事ということを忘れずに。社会とか世界とかそういう全体的なものではなく、あくまでも「私」が「あなた」に向けたものなのだと。

「何があっても変わらず淡々と続いていること」を体現したいという気持ちもあります。例えば空に浮かぶ雲みたいに。多少の変化はあっても、ふと見上げるといつもそこに存在している。いいもわるいもないんだよと。

だから今もこれまでも、できるだけとらわれないようにして、ブログを書いてきました。

 
……って、本当はこういうことってあまり言いたくないんですけどね、なんか恥ずかしいじゃないですか。言わない方がカッコいいというか。

にもかかわらず書いたのは、今回一つの学びがあったからです。

それは、あまり深刻になりすぎちゃいけないな、ということ。

深刻になると視野が狭くなるし、心身がずっしり重くなります。これは良くない。

特に心がぐらつきやすい人、外界からの影響を受けやすい人は気をつけておくべきなんだろうと思います。

自分が抱えられるものには限界があります。大事なことだからといって、あれこれ抱え込んで何もできなくなってしまったら、何にもならない。

だからまずは自分の生活をまわす。

話はそれからだよねって。

 
実際私がどうしようもなく落ち込んで、投稿の変更を検討していたとき、このブログ(ナミうつブログ)を見返したら、重苦しい心がかなり軽くなりました。ゆるい話題が多いので、深刻なニュースにとらわれていた自分の拘束具をゆるめることができたのだと思います。

それってただ現実から目を背けただけなのでは? と感じないでもありません。

でも、ずーんと沈んでいたときよりも動ける。前を向いて進んでいけそう。何らかの行動ができる、これが間違っているはずはないでしょう、沈んでいるだけじゃ何も変えられないんだから。そう思ったんですよね。

 

そんなこんなで、「いつもと変わらずそこにある、役に立たなくてもただそこに存在している」そのことがもたらす「いいこと」を感じられた、それがよかったです。

森羅万象のごく一部分であることを感じつつ、「ただ在るってことはいいもんだ、良し悪し関係なく、おもしろい」とフラットに捉えられたらいいなと思います。

 
何だかごちゃごちゃと書き散らしてしまいましたが、要はあなたに「OKだよ」とか「いいね」みたいなことを言いたい、という話です。

そして、

・深刻になりすぎないことが大事
・何の役にも立たないものこそ必要となることもある

それが今回の学びです。

1 COMMENT

あたま

更新ありがとうございます。
2011年東北大地震 2012年母死去。失って初めて気づいたことたくさんありました。

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