前回、「生きてることが辛いなら」(作詞:御徒町凧、作曲・歌:森山直太朗)について書きました。
死について語ることを否定しなかった人のこと/「生きてることが辛いならいっそ小さく死ねばいい」
この中で、特に好きなフレーズを紹介しました。
歴史は小さなブランコで
宇宙は小さな水飲み場
いやほんと何度味わってもいいですね。この感じ好きすぎる。
小さなブランコが行ったり来たり。前に後ろに風をきって。くり返される歴史のように。そして小さな水飲み場では、ちょろちょろ水が溢れていく。こんこんと湧き出る泉のように。小さな公園の小さな風景。まるで顕微鏡をのぞいたときに宇宙を垣間見るような、そんな気分。
「生きてることが辛いならいっそ小さく死ねばいい」にも「小さく」とあります。「大きく」ではなく「小さく」です。連綿と続く歴史、無限に広がる宇宙、巡る命。こんなにも広がりのあるものがなぜ小さな公園の風景と重なるんだろう? どうしてこんなにしっくりくるんだろう?
宇宙全体について考えているとき、自分はその宇宙の中にいます。でも、じゃあその宇宙を俯瞰しているコレは何? そんな感覚に共通するところがあるのかなぁと思います。
森山直太朗さんは、作詞者である御徒町凧さんに「ところで、あの歌詞の意味なんだけどさあ。あれどういう意味なの?」と尋ねたそうです(『大傑作撰』解説より)。これを明確に説明するのは難しそうですよね。御徒町さんは何と答えたのでしょうか。
最近読んだウェブマンガ「ダルちゃん」で、登場人物の一人・経理のサトウさんが詩についてこう言っていました。
「いい詩っていうのはね ほんとうのことが書いてあるなって思うのよ」
「心がね 気持ちがすごくほんとうだなって そう思うの」
(「ダルちゃん」第21話)
あーわかるー、そうそう、そういう感じだなーと思いました。
以前書いた「谷川俊太郎詩集『私』を読んだ私の感想」で感じていたのもまさにこの感覚。「本物に触れられた気がして穏やかな心持ちがしました」。
忙しい日々を過ごしていると、なかなか詩を味わう余裕がなくなってしまうのですが、こういう気持ちは忘れたくないものです。生きてることが辛いときこそ。
<本日の一曲>
森山直太朗「生きてることが辛いなら」2008年